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映画「ロスト・イン・トランスレーション」
土曜日の午後に開演30分前に到着してチケットを買おうとすると、「立ち見でもいいですか?」ときた。その後の予定がずらせないので、やむなく通路に腰掛けて鑑賞する。

この作品は、結婚後25年たつ中年映画俳優ボブとカメラマンの妻で結婚2年目の若い女性シャーロットとの旅先(東京)での心の触れ合いを描く。俳優ボブはいつも疲れた表情で、いかにも人生の岐路に立たされた中年。電話で妻と話せば心のすれ違いに苦渋を感じ、慣れない日本式応対に戸惑っている。一方、シャーロットは新妻らしく溌剌と見えるが、内面に空虚な気持ちを押し殺している。観光に出かけても何の感動も味わえず、呆然とホテルの天上を見つめて時間を過ごす。時差ぼけと寂しさで眠れない二人は、やがてホテルのバーで言葉を交わすようになる。登場人物の内面をさらけだすこともなく、ホテルやタクシーの窓ガラスに東京の景色が映っては流れ去るように、二人の表情にもの憂い感情が浮かんでは消えるのを透明感のある映像で見せる。
「ヴァージン・スーサイズ」がそうであったように、ソフィア・コッポラの映画は粘っこくさがなくさらさらと流れていく。記憶にぐいっと引っかかる場面がない。だから、どこが面白かったのか、と他人に説明するのは容易じゃない。個人的には、主演女優スカーレット・ヨハンソンが見れればよかった(「真珠の耳飾りの少女」より、こういう現代的な女の子の方がずっと似合っている)。この映画の面白さをあえてあげれば、火星に降り立ったように、東京という街にやってきた一組の男女が、心の空虚さを抱えてさまようさまが面白い、ということだろう。「こんなストリップバー、日本にないぜ!」って言いたいシーンもあったが、たいていは、まあ外国人だったら確かに奇妙に見えるよなっていう情景が続いていた。シャブシャブの肉の違いは僕だってわからん。

冒頭でベッドに寝転ぶ下着姿のヨハンソンのヒップラインが大きく映しだされる。彼女がホテルに閉じこもってばかりいるのに対し、一方のビル・マーレイはサントリーのCM撮影でくたくたになってホテルに戻ってくる点が対照的だ。寺でお経を聞いても感動しなかったという彼女の意識はコンクリートの壁で囲まれたホテルの部屋のように、中ががらんどうで空虚。彼女の部屋に中年男が侵入する(別の言い方をすれば、下着の中に手を入れる)ことがドラマの中核になっているのだが、それはビル・マーレイがスカーレット・ヨハンソンの“部屋に上着を忘れた”ということだけで暗示されている。コッポラの映画にもの足りなさがあるとしたら、人の心に土足で踏み込まない潔癖さにあると思うし、またそれが彼女の映画の魅力なのかもしれないと思ったりもする。

昔、中央線に乗って居眠りし、急に顔を上げたら歌舞伎町のネオンサインが目に飛び込んできて、ぎょっとしたことを思い出す。それこそ火星に降り立った気分。また、海外からわが街東京に戻ってくると、看板や広告がやらた目につく。怖ろしいほど早足で歩いている。自分は外人になったような気分で街を眺めてしまう。僕は仕事で外人を案内することもあるのだが、よく思うのは、自分も外国人だったら東京の街はまた違った輝きを帯びて見えるだろうということ。生まれて育ったわが街だからといって、すべてを知っているわけではない。外国人にしか見えない一面もあっておかしくない。そんな体験を許してくれた映画だった。
| 2004年4月の映画 | 18:35 | comments(0) | trackbacks(1) |
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映画「ロスト・イン・トランスレーション」 その2
「ロスト・イン・トランスレーション」を再び見た。同じ作品を再度みるのは、その映画がより豊かな映像体験を約束してくれそうな気がしたから・・・なんていえるとカッコいい。要はスカーレット・ヨハンソンの顔をもう一度よく見たかっただけ。 でも、別の理由がない
| 今日もJokigen | 2004/06/13 1:01 AM |