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映画「真珠の耳飾りの少女」
フェルメールにもともと興味があったのと、主演女優スカーレット・ヨハンソンが「ゴーストワールド」で印象に残っていたのとで、この映画が公開されたから早速、「真珠の耳飾りの少女」を見に行ってみた。
まず驚いたのは、フェルメールの絵の雰囲気を忠実に映像で表現しようと企図している点だ。あの柔らかな質感、光の粒子が絵の中で放射され浮遊しているような独特の調子。この光の粒子が空間を通り抜けるうちに柔らかな波動となって、見るものの心に伝わってくる。西欧でも北のほうにあるオランダだけあって、ぎらっとした太陽光線やどぎつい色づかいはなくて、窓越しに差し込むソフトな光線。この映画では、フェルメールの絵を知っている人なら、ははぁ〜んと思い当たるような、油絵の構図に似た映像や室内セットがよく出る。

ハーグの12月の風景
ヨハンソン演じる少女が貧しい家の生まれで、フェルメールの家に住み込み女中としてとしてやってくる。最初に彼女を中年の先輩女中が出迎えて屋敷内を案内するのだが、この腕の太いがっちりした女中が、フェルメールの「ミルクを注ぐ女」を彷彿とさせるので、思わずほくそえんでしまう。ただ僕が本当に感心したのは、絵解きみたいなことよりも、フェルメール家の雰囲気だ。夫と妻と義理の母と娘とが、なにかお互いに監視しあっているような、心を許しあっていない、どこか家族間に流れる冷たい空気。妻とは表面的には愛し合っているように見えるフェルメールだが、芸術家一般の奔放で官能に溺れるイメージとはかけ離れた禁欲的な姿勢が窺える。そういった点が、映画ではうまく描かれていたと思う。
一方で、映画が美術の真似をするのはよくない、とも思う。所詮、絵画や写真のように動かないものと、動きのある映画が表現する美の世界は違うのではないかと。映画の命とはなんだろう?やはり編集のリズムが生み出す独特の時間の流れじゃないか。だから、興味深いところも多々あるのだが、この作品の達成した美には心底から感服できなかった。パンフによると、この映画のスタッフには、「ZOO」などを制作したピーター・グリーナウェイ監督作品に協力した人(美術 ベン・ヴァン・オズ)がいるそうだ。そういえば、「ZOO」にも、フェルメールの絵をモチーフにした場面がでてきたように記憶している。でも、同時に動物の死体が腐乱する様も見せてしまうグリーナウェイ監督は、ただの美術好きとは違って、運動に満ちた映像作りに成功している。技術的には素晴らしい「真珠の耳飾りの少女」だが、ここまでの映像美は表現できてなかったように思う。
ヨハンソンと、その恋人役で「28日後…」にも出てきたキリアン・マーフィーは、どちらも17世紀の若者というにはあまりに現代的な気がした。ヨハンソンの半開きの口は別段可愛いとも思えない。

かつてハーグに行ったことがある。主な目的はこの街を拠点に活動するネザーランド・ダンス・シアターを観劇するため。でも、フェルメールの絵が、このハーグのマウリッツハウス美術館にあることも知っていたので、到着日にホテルからさっそく見に行った。(⇒旅行記)「真珠の耳飾りの少女」、通称「青いターバンの少女」と「デルフトの眺望」は、マウリッツハウス美術館の同じ小さな展覧室で向かい合わせに飾られている。午後の柔らかな光が窓から差し込む、この小さな美術館の雰囲気を、僕は今も思い描くことができる。「少女」の絵の前に、アメリカ人カップルが長々と30分近く話しながら立っていた。30分と知っているのは、僕も「デルフトの眺望」など他の絵に目を移しながら、この部屋に30分以上いたからだ。彼らの肩越しで「真珠の耳飾りの少女」を眺めたことをよく覚えている。
| 2004年4月の映画 | 22:55 | comments(0) | trackbacks(0) |
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