CATEGORIES
RECOMMEND
MOBILE
qrcode

<< 大学入学資格の試験科目に手話 (フランスの話) | main | 河回村のおばあちゃん >>
スポンサーサイト

一定期間更新がないため広告を表示しています

| - | | - | - |
天秤棒を担いで歩く大統領 〜 「午後の五時」(その2)
サミラ・マフマルバフ監督の『午後の五時』は、『裁かるるジャンヌ』や『2001年宇宙の旅』にも匹敵する名作だ、と友人に吹聴したら、嘘つき〜!と言われた。嘘じゃないぞ〜!!だから、再び見に行った。

前半、荒廃したカブールの上に太陽が燦燦と輝いてる。女たちは日傘で陽射しを遮り、ブルカで人目を忍ぶ。錯綜する街並み。光と陰の世界。
映画は後半に至ると、砂漠へ迷い込む。灰色の天穹、冬の凍てついた大地が広がる。老人は馬へ、大地へ、神に向かって嘆き言を繰り返すが、すべては沈黙している。ただ、馬車の車輪がきしみながら回り続ける。頭上を銀色の爆撃機が通り過ぎる...
「午後の五時」は、アフガンの現状を描くドキュメンタリー的要素を散りばめらながら、独自の詩的空間を想像させるイメージ喚起力があると思う。サミラの父親モフセンもシュールな印象を与える映像が得意だが、どこか人間的な温かみもある。ところが長女のサミラはといえば、冷たい、ひたすら冷たい。彼女によって、観客は戦慄の中に置き去りにされる。

■ヒロインが通う学校には、大統領になりたいといった女性が複数いた。中にも、メガネをかけた聡明そうな女の子が忘れがたい。思慮深げで話し方に真実味が籠っている。ヒロインより、このメガネちゃんのほうがずっと大統領向きに見える。クラスで生徒が交わす熱いディスカッションの場面はとても真実味があって、ドキュメンタリー映画を思わせる臨場感に溢れている。しかし、この少女は爆弾テロ(?)らしきものに巻き込まれてしまう。ヒロインがある日、学校に出席すると喪服を着た女がコーランを読み上げている。冒頭のロルカの詩が暗示しているように、死への予感はこの作品中に充満しているように思う。

■廃墟となった宮殿に、大統領の威厳を身にまとって歩く女がいる。白いハイヒールを履いた足は土埃で汚れているが、彼女は民衆のリーダーなったという夢想の世界に遊んでいる。やがて、この夢想に飽きると、彼女は子供のようにケンケンをして遊ぶ。足音が廃墟にこだまする。映画は詩的夢想の世界へ観客を運び込む。一頭の馬が宮殿を歩く場面を見て、別の映画でも同じ場面をどこか見たはずだと思ったが、特定できなかった。
街は罪で穢れていると嘆く老人が嘆く。「お前も人間の悲しみが分かるか?」と馬に話しかけるが、馬はただ枯れ草を食べ続ける。
ヒロインは自転車で自称詩人と写真を撮りに行く。写真とはなんだろう?物質化された人間の姿。ここでも、死の予感が漂っている気がした。

■詩的空間へ飛躍
乾いた大地、灰色の天穹。星を戴き、月に祈っても、神は沈黙している。寒さに震えて息を吐く老人と2人の女と一頭の馬。そこへ、老人が忌み嫌っていた音楽が画面にかぶさる...。死の床についた人間の耳を襲うハチかハエの羽音のような音楽が。やがて、映画の冒頭に聞こえたガルシア・ロルカの詩が再び繰り返される。「午後の五時、残るは死だけ。...闘牛士に死が訪れる」“闘牛士”とはアフガンの大地そのもののだろう。

映画を見て面白いか、面白くないかは、純然たる趣味の問題...。されど、されど...
『午後の五時』はやはり名作だと思う。
| 2004年7月の映画 | 23:45 | comments(0) | trackbacks(2) |
スポンサーサイト
| - | 23:45 | - | - |
コメント
コメントする









この記事のトラックバックURL
http://jokigen.jugem.cc/trackback/133
トラックバック
映画: 午後の五時
邦題:午後の五時 原題:At Five in the Afternoon 監督:
| Pocket Warmer | 2004/07/09 4:53 AM |
「午後の五時」
念願の映画を観ました。 「午後の五時」 アマゾンでもDVD出てないみたいー。 ビデオ撮っといてホンマよかった~。 前に観た「アフガン零年」に続いて、アフガニスタンの映画です。 この話は、大統領になりたいとひそかに願う 主人公ノクレに、否が応でも降りかかっ
| いっぴーのお気楽にっき 2 | 2006/08/15 11:58 PM |