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『Google誕生 』
Google誕生 ?ガレージで生まれたサーチ・モンスター今でも始めてグーグルで検索したときの驚きを覚えている。知り合いの会社にいったら、「これで検索するといいよ」と教わったのは、アルファベットで”Google”と書かれて検索フォームがあるだけの真っ白いページ。最初は安っぽいと思ったのだが・・・すでにそのころ、Yahoo!の人間手作業分類や、他のサイトのロボット検索に、僕は大きな不満を感じていたので、その優秀さにものすごくびっくりしたものだった。インターネットを使いこなせば、使いこなすほど、グーグルのありがたみがわかってくる。

こうしてグーグルに魅せられて、1日何度も検索する日々が続いた数年後、グーグルに広告が載るようになったのを知ったときには、失望の度合いはかなり大きかった。初期の広告サービスではスポンサーサイトと普通の検索結果リストの違いがわかりにくかったこともあるが、「グーグルよ、お前もか!」と恨んだことも覚えている。今ではこれも定着して、個人のHPが広告をのせて、小遣い稼ぎができる(僕は稼いだことないが)グーグルアドセンスというのも登場している。

初期から今までのグーグルの変遷が、自分とインターネットとの関わりに大きな位置を占めていることを、この「Google誕生  ガレージで生まれたサーチ・モンスター」を読んで再確認したと思う。創始者サーゲイ・ブリンとラリー・ペイジ、なんというスケールの大きい事を成し遂げたのだろう。株式上場する前もした後も、彼らの理念が揺るがないことがグーグルの大きな魅力になっていると思う。

そういえば去年シアトルに旅行したときは、ちょうど新聞などがグーグルの株価が一時的に下がったことを取り上げていたっけ。「グーグル誕生」は私企業と呼ぶにはちょっと特殊なグーグルの経営についても大きな知識を与えてくれる。今はちょっと巨大になりすぎているきらいもあるけど。この本が面白かったせいで、マッキントッシュなど別の企業の成立の歴史についても知りたくなってきた。とりあえず、次は「スティーブ・ジョブズ」についての本だ。
| 気まぐれ読書 | 00:01 | comments(0) | trackbacks(1) |
Death Note デスノート
DEATH NOTE (7)すでに気がついたらDEATH NOTE の第7巻まで読み進んでいる。通勤中の地下鉄のなかでコミック読み耽っているサラリーマンたちの中に、いつのまにか自分も加わっている今日この頃。

自分から手をのばすことのないコミックを読むのは、たいてい周囲の知り合いから「面白いよ」と進められたときか、映画の原作ものとして興味をもったとき。最近いちばん面白いと思ったのは「のだめカンタービレ」かな。しりあがり寿の『合本 真夜中の弥次さん喜多さん』や『さくらん」などは、やはり映画からの関連で読み始めた。

のだめカンタービレ(15) 限定版「デスノート」に関しては実写版映画が今週末から公開される(監督:金子修介・主演:藤原竜也)。“名前を書けば人を殺せるノート”にまつわる規則条項が次々と書き加わっていくのが、初めはご都合主義だなぁと思っていた。時にセリフが多すぎるのも困るしね。でも、読み進むとそれなりにやはり引き込まれるものがある。キラに対決する「L(エル)」が、第7巻でなんとあっさり死んじゃったように見えるじゃないか!うそ、やだぁ!「L(エル)」のキャラクター好きだったんですけど!復活させてぇ・・

「Death Note」というのはマニアックなところでは海外でもすでに日本のコミックに興味のある人たちの間に浸透しているらしい。物語を説明している英語サイトもすでにあった。海外ですでに映画を買い付ける動きがでているとか。全巻読み通すまで、さてあと数日、通勤時間は「デスノート」漬けになりそう。

(以前の記事で「放○」という語句を使用したせいで、奇妙なトラックバックが寄せられている。アクセス数を稼ぐには意外にこういう語句を入れるのがよかったりして)
| 気まぐれ読書 | 00:43 | comments(2) | trackbacks(0) |
『国家の罠 外務省のラスプーチンと呼ばれて』
国家の罠 外務省のラスプーチンと呼ばれて拘置所で正月を迎えと、囚人たちにそれはそれは豪華な料理が供されるようだ。「国家の罠」の著者は拘置所職員から「正月には特別の配給があるよ」と聞いて、むしろそれを体験してみたいと思った、と語っている。多くの囚人たちは年末には出所して自宅で家族と正月を迎えたいと思っているのに。
今日が面会最終日。その後、一月五日まで九日間、囚人は外界から遮断される。その間は差し入れも一切入らない。だから、多くの囚人が年内に保釈になるように全力を尽くす。(中略)昨日も今日も面会室では囚人が大声で泣きだし弁護人に対し、「先生、なんとかしてくださいよ。保釈にならないんですか」と訴える声が壁を通して聞こえてきた(2002年12月27日の日記)」
いわゆるムネオ疑惑から背任容疑で逮捕された外務省職員・佐藤優は、他の被告が罪状を認めたのに対し、歴史に正確な記録を残すことが自分の責務と考えて、罪状認否を続けて今も裁判で係争中だ。この「国家の罠」で著者は、背任と訴えられた対ロシア工作活動での自分の正当性を強く訴えている。正直いって前半の部分は読むのに苦労を要した。ロシア要人や外務省幹部、鈴木宗男議員、商社社員などとのやりとりの細かな記述。勘ぐってしまえば、係争中の裁判で自分に有利な内容のみを選び出して記録しているという見方もできる。しかし、この前半で“外交とは何か?”という彼なりの主張を知った上で、後半の逮捕後の検察とのやりとりを読むと実に興味深い。
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| 気まぐれ読書 | 11:15 | comments(0) | trackbacks(0) |
金原ひとみ「AMEBIC / アミービック」
AMEBIC年明けによんだ新聞に金原ひとみのインタビュー記事があって、「AMEBIC」のことが記憶に甦ってきたので、そのことについて書こうと思った。
インタビュー記事には、卓上のノートパソコンに向かう金原ひとみの写真が大きく載っていた。小さな額のあたりに左手をもってきて長い茶髪をかき上げながら、彼女はなにやら思いに耽る風情。国内出張のときに新幹線の中で一気に読んだ「AMEBIC」。この本の著者ってどんな女性?主人公の女性と著者はどこまで重なっているの?という好奇心が湧いてくる内容だったので、記事は興味深かった。
小説のヒロインが新宿駅で献血所を見かけると、『ああ献血ねと思いちょっとのれんをくぐってみようではないかと足を踏み入れたのだけど、・・・」とまるでアイスでも買うみたいにふらりと献血所の受付に向かう。そこで、あなたは体重が三十キロしかないといわれて断られ、ヒロインは憤慨しながら群衆のなかをあてどなく歩き回っていたりする。この病的な痩せ方だとすると、よっぽどウエストが細いなぁ、両手で掌ですっぽり収まる?実物見てみたい・・・ふつふとと湧いてくる好奇心。もちろん、ヒロインと著者は違うことは百も承知だが。写真の金原ひとみは確かにほっそり痩せていて繊細そうな体の線をみせていた。
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| 気まぐれ読書 | 23:24 | comments(0) | trackbacks(0) |
小説『春の雪」
妻夫木聡と竹内結子が主演した同名映画化作品を見た後、三島由紀夫の原作小説「春の雪」を読んだ。映像化されたものと、文庫本で460ページ以上の小説がちょっと違うのはもちろん。違うところをあげると切りがないけど、(1)雪の中で清顕と聡子が接吻するシーンは映画では馬車、でも原作小説は人力車(!)。(2)清顕が劇場に聡子を誘い出して鑑賞するのは映画ではオペラだけど、小説では歌舞伎。 (3)映画では園遊会で聡子と洞院宮治典が直接会って「初めまして」と挨拶してた(宮様にそんなこという人いるかい?)。小説ではもちろんその場で直接に会わない。(4)登場人物が映画はかなり少なく削っている。とくに松枝家の書生、飯沼は映画には出てこない、などなど。

映画でもほのかに感じられた清顕の死への予感は、小説では冒頭から明確になっている気がする。日露戦争の暗い影が全体を覆っているし、大正時代の華族の生活の雰囲気も丹念に描かれている。特に小説にだけあって印象的だったのは、松枝家の鎌倉の別荘に、清顕とその親友・本田、シャムの王子たちが連れだってでかけて、一夏を過ごすくだり。
父がこの鎌倉の別荘へ来るときいは、駅頭に町長、警察署長その他の大ぜいの出迎えを受け、鎌倉駅から長谷の別荘までの道に、海岸から運ばれた白砂が撒かれるのが常だったが、・・・

なんか、ヴィスコンティが映画化した『山猫」を彷彿とさせるじゃないか。
『南面するテラスからは、正面に大島がはるかに見え、噴火の火は夜空の遠い篝になった。由比ヶ浜までは庭づたいに五,六分で歩いてゆける。そこで侯爵夫人の海水浴のありさまを、ここのテラスから侯爵が、遠眼鏡で眺めて打ち興じることがある』
ここへ清顕が聡子をこっそり呼び寄せて浜辺で密会する場面の味わいはまったく小説にしかないものだった。彫琢された言葉の連なりが鮮やかな絵巻を見るかのような印象を与える。
これまで三島由紀夫を読もうという気が起こらなかったのは、それなりに理由があることだけど、これをきっかけにちょっと三島文学の世界にも触れてみよういう気になった。
| 気まぐれ読書 | 22:30 | comments(0) | trackbacks(1) |
南の島で読んだ俵万智歌集「プーさんの鼻」
俵万智「プーさんの鼻」先月末に南半球のニューカレドニアへ行ったとき、日曜日にビーチで読んだのが俵万智の歌集「プーさんの鼻」。

あの「サラダ記念日」でデビューした歌人もいまは一児の母でシングルマザーでいらっしゃる。短歌のひとつひとつに、生まれた子供の愛らしさ、深い愛情、そして時々垣間見える複雑な事情などが感じられた。このピンク色の表紙の本を手に持っていると、赤ちゃんの肌の温もりが感じられるようだ。ぬくぬくした南の島のビーチで寝ころびながら、この歌集を読むのもまたオツなものだったなぁ。

生きるとは手をのばすこと幼子の指がプーさんの鼻をつかめり
(歌集の題名「プーさんの鼻」はこの短歌からきているのだろう)

弾みつけ腰をひねっておっとっと寝返りはまだうまくできない

上のように母として子供を優しく見つめる視線の温かさが伝わる短歌もあれば、みずみずしい恋心や、父や弟など家族への思いを謳ったものなどもある。でも、いちばんの魅力は言葉の響きの美しさ。

それにしても、歌集一冊通して読んだのは久しぶりだ。実は僕は古典文学、特に短歌を専門に勉強していたんだけど。今では年末ごとに年賀状の挨拶文考えるのに、つい古今和歌集開いて参考になる文句ないかなって探す程度になった。悲し。俵万智ってひと、僕の大学の先輩なんだよねぇ、よく考えたら。
| 気まぐれ読書 | 23:54 | comments(0) | trackbacks(1) |
ビートたけしの小説「少年」
少年
ビートたけしが書いた3編の短い小説「ドテラのチャンピオン」、「星の巣」、「おかめさん」をまとめた文庫本の題が『少年』。昭和62年 (1987年)に単行本として出版されたものの文庫本化。ビートたけしって、最初の映画監督作品「その男、凶暴につき」が1989年だから、映画をつくるよりもまえから小説も書きはじめていたらしい。その道一筋の作家が書いたものってよりは、マルチタレントが余技で書いた文章、っていう印象は否めないけど、北野映画に共通しているナイーブさで通底するものがある気がした。

「ドテラのチャンピオン」では、昔から運動が苦手で勉強はできる兄とやんちゃな弟マモルの日常生活が描かれる。秋の運動会を直前にした兄弟のやりとりが主な内容。いちばん印象的なのは6年生で走ることが得意な“カラバカ”と綽名で呼ばれる生徒のエピソード。いつも運動会のヒーローだが、直前で風邪にかかってしまう。
小学校六年生にしては異常に大きな体を温泉旅館で出すようなドテラにくるみ、相撲とりが歩いているようにヨタヨタしながら校舎に向かって歩いてくる。途中で足を止め、しばらく地面のアリでも探しているのかと思われるほど頭を垂れ、ゼエー、ゼエーと肩で息をしている

運動会の日、ゴールインの順位で一喜一憂する少年たちの純真さ。そして風邪の熱のためにトラックの途中で倒れてしまうカラバカの姿を見て、北野映画のキャラクターの典型をみる思いがした。遠くから眺めていただけだったカラバカの姿を再び思い出して、『大人になったマモルの瞼の下にいつでも走り続けるカラバカの姿がある』とこの小説を締めくくる。こういうナイーヴな感性が、この人の映画の根本にあると思う。
| 気まぐれ読書 | 01:16 | comments(0) | trackbacks(0) |
東京タワー ~ オカンとボクと、時々、オトン~
東京タワー ~オカンとボクと、時々、オトン~東京タワー ~オカンとボクと、時々、オトン~』。
温かな響きの方言で交わされる母と息子の会話に何度も涙ぐむ。平易な言葉をつかいながら念入りに彫琢された文章は、哀愁とユーモアに溢れ、あっぱれ見事というほかない。一度ならず、二度読み返したい本だ。
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| 気まぐれ読書 | 00:20 | comments(6) | trackbacks(6) |
コミック『失踪日記』(吾妻ひでお)、ほか
最近、長年読んでいなかったコミックを読み始めた。

前に書いたけど、『真夜中の弥次さん喜多さん』(しりあがり寿)の和風なシュールで、じと〜とした世界がよかった。映画化された作品に目立つ乾いた笑いより、僕は原作コミックのウェットな笑いの方が、圧倒的に好きだ。

それから、友人に貸してもらった『のだめカンタービレ』が面白く、8巻まで読み進んだ。作者の二ノ宮知子さんが、クラシックと音楽学校の学生たちの世界をかなり突っ込んで取材をしながら描いているのがわかる。ヒロイン、野田恵、こと、のだめちゃんのキャラクターがイケてる。練習嫌い、掃除も料理もしないで、部屋がゴミ箱のように汚い。でも、その行動はやっぱり女の子らしい。もう、ひとりの主人公、千秋真一。う〜、かっこいい。その他、登場人物、みんなユニーク。
これって、ばりばり少女マンガじゃんと、男性の僕にはデパートの女性用化粧品売り場いて、落ち着きがなくなるような瞬間がなくもないけど、やはり、楽しく読み進んでしまう。ああ、地下鉄の中でブックカバーなしで読みふけるだけは、恥ずかしいから、やめよっと。

それと、もうひとつ、吾妻ひでおの『失踪日記』もリアルで面白かった。書いてあることはみんな実体験なんだとか。実は書けないこともけっこうあったらしいけど・・
失踪日記
それほど、昔からの熱烈コミックファンじゃないので、このひとの絵と名前は見覚えあるなぁという程度なんですが、いつのまにか、こんな体験をなさっていたんですね。漫画家のかたというのは、いつも締め切りに追われていたりして、長年続けているとストレスがたまるようです。サザエさんの原作者、長谷川町子だって、作品を描こうとすると胃がいたくなって、途中で投げ出してしまったそうですから。吾妻ひでおさんは、仕事投げだして、放浪、ホームレス生活、配管工になぜかなって、それからアル中・・・と、とんでもないことに。でも、この人の年齢はよく知らないけど、人間はあるとき、なにもかも投げ出したくなるのかも。え〜、ミドル・エイジ・クライシスとかいうんでしょうか?「シャル・ウィ・ダンス?」の主人公(役所広司/リチャード・ギア)も、中年のたそがれを感じていたんでしょう。ホームレスになるより、ダンス始めてよかった。でも漫画家の世界は壮絶なので、家を飛び出すよりほか、仕方がなかったのでしょうか。『失踪日記』読むと、ちょっと身につまされます。
| 気まぐれ読書 | 11:10 | comments(0) | trackbacks(1) |
『ピナ・バウシュ中毒』(楠田 枝里子著)
ピナ・バウシュ中毒とても、素直にピナ・バウシュとその作品に対する愛情が表ている本だと思った。批評でも分析でもない。コンテンポラリー・ダンスの未来像を描いてみようというのでもない。ピナ・バウシュが好きで、その舞台にのめりこんで、ピナ・バウシュ自身にも会い、ダンサーたちとも仲良くなって、“ピナと同じ時代に生きてる幸せな気持ちをみんなで分かち合いましょう”といいたいために書かれたという感じの本。

東京ばかりか、ドイツのヴッパタールまでいって、またはフランスのパリまでいって、ピナ・バウシュの舞台を鑑賞し、その世界に酔いしれたことを書いているうちに、何時の間にかダンサーたちと過去に交わした思い出について書いたり、また鑑賞後の出来事について書いたりと、時間軸が入れ替わるところは、文章もちょっとピナ・バウシュ的かも。
ピナ・バウシュの舞台で進行するできごとを文章化するのはとても大変な作業だと思う。それが、この著者だと、すらすらと苦もなく見たものを記述できるようなので不思議だ。それだけ、このドイツ人の振付家の世界がぴったりと著者の感性にはまりこみ、彼女の記憶に深くとどまるのだろう。

楠田枝里子という人に初めて目を留めたのは、埼玉芸術劇場でキリアンの公演があったとき。背が高い人なのでロビーでも目立つ。ああ、テレビに出ている人だと思った。それから、日本でピナ・バウシュの公演にいくと、必ず前方数列目の中央の席に座っているので、どういう人なんだろうと思っていた。この『ピナ・バウシュ中毒』に書かれているヴッパタールでの『パレルモ・パレルモ』の公演、実は僕も見ている。やっぱり前方に、この著者の女性が座っていた。幕開けに壁が崩れるシーンで、僕もこの著者と一緒に、轟音が耳にし、埃を頭からかぶったのかと思うと、ちょっと感慨がなくもない。そう、遅ればせながら、ピナ・バウシュの追っかけの後塵を拝している僕なのだった。

僕がピナ・バウシュの世界に陶酔するようになったきっかけは、2002年の「炎のマズルカ」以来で、まだまだ新米。拙いながら、自分で書いた感想は以下のもの。
オンリー・ユー
コンタクトホフ
天地
バンドネオン
オルフェオとエウリディーチェ
| 気まぐれ読書 | 18:55 | comments(0) | trackbacks(0) |
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