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ドキュメンタリー映画『スティーヴィー』を見た
風邪で体調を崩して映画館に行ったのは久しぶり。何を見ようか?と思ったとき、以前から喉から手が出るほど見たくて見たくてしかたなかった『スティービー』が思い浮かんだ。そこで自分自身への快気祝いとして、この作品を現在都内でただ一カ所上映するポレポレ東中野に行ってみた。

「スティーヴィー」をより多くの人に見てもらうために、うまい紹介文はないものかと思案しているけど、まとめるのに時間がかかりそう。それは改めて書くとして、ただ思いをぶちまけた感想を記しておくと・・・

映画を見て感涙にむせぶのは久しぶり、そういえるくらい僕は泣けた。温かく澄んだ優しさが「スティーヴィー」の画面に漲っていた。描かれているのは多くの問題を抱えたひとりの男の凄惨な人生なのに!
母親、他の大人たちによる虐待を受けて心の傷を負ったスティーヴィーが、周囲の社会と諍いを起こし、やがて重大な犯罪の加害者として刑務所に入れられる。監督スティーブ・ジェイムズとスティーヴィーとの間に結ばれた関係。それは通常だったら断ち切れてしまうに違いない。でも、監督ジェイムズがそれをしないのは、逃れられない「縁(えにし)」として受け入れているのか。彼の倫理的姿勢なのか。とにかく誰もが目をそむけたくなるとき、真摯に向き合おうとする監督ジェイムズ自身の態度に興味を感じないわけにいかない。時間の経過とともに監督自身が作品の登場人物になっていく。煩悶するスティービーと監督ジェイムズの強い結び付きを通して生まれた映画。スティービーの母、妹、祖母、恋人、友人たちとの関わりを通して、きれい事だけではない壮絶な人生が浮かび上がってくる。カメラは人生の驚くべき瞬間を何度も捉えている。スティービーや他の人々の真情が吐露される場面では、あまりに胸に迫って息が詰まるほどだった。

この「スティーヴィー」のことを考えると何から話していいのかわからないが、2時間25分の上映時間のあいだ、とにかく心を揺すぶられ続けた。スティーヴィーが恋人トーニャとシカゴまで旅する場面あたりから涙がこぼれてとまらくなり、この作品は人生の恐ろしさや惨たらしさに目を背けない視線に支えられているからこそ、無限の優しさに包まれている感覚が生まれるのだと思った。映画を見終えた後、こんなに興奮して映画館を後にしたのはほんとうに久しぶりかもしれない。決して、久しぶり(といっても一週間程度なのだけど)に映画をみたからというだけで興奮したのではなかった。断じて、そうじゃない!
| 2006年2月の映画 | 00:01 | comments(0) | trackbacks(0) |
マキノ雅弘の映画「次郎長三国志」
さあ、張った、張ったぁ!張って困るはオヤジの頭、張らなきゃ食ぇねえ提灯屋!ときたぁ。さあ、張った、張ったぁ〜!

マキノ雅弘監督の「次郎長三国志」の中で何度も繰り返される賭博の場面のセリフを聞きながらいいなぁ日本語って!と思っていた。

1952年製作の「第一部 次郎長売出す」の冒頭では、昭和の浪曲師、広沢虎造が「馬鹿は死ななきゃ〜直らない」と名調子を聞かせている。このあと、広沢虎造は“虎三”役で登場するたびに貫禄があってきびきびした動き見せてセリフ回しもよくて、昔の芸人さんは上手いなぁと感心させた。浪曲って、よくは知らないんだけど。
ほかに田中春男、若山セツコ(愛らしい!)、小堀明男、田崎潤、森健二、河津清三郎など。庶民的な雰囲気を醸す俳優陣を揃えている。任侠の世界って、やっぱりこういうんだなぁ。アウトローというか、負け犬たちの敗者復活戦というか、底辺の庶民がこういう登場人物たちに寄せる熱い気持ちが分かった気がする。いやぁ、おひけぇなさって!ご苦労さんでござんす。渡世人の稼業というのは厳しうござんすね。仁義のきりかたのひとつでも覚えてみたいでござんす(なにいってんだろ?)。

旅ゆけば、駿河の道に茶の香り!

マキノが東映で1963年に製作した「次郎長三国志 第一部」と「次郎長三国志 第二部」では全編カラーで、音楽も浪曲調というよりミュージカル調。清水の次郎長が鶴田浩二、鬼吉が山城新伍、綱五郎が松方弘樹、仙右衛門が津川雅彦、森の石松が長門裕之など。こちらのほうが今も知られた名前の役者たちで、へぇ、この頃あの俳優って若かったんだなぁといった感慨があるかもしれない。けっこう華やかでこちらも見てて楽しかったけど、1952年製作の東宝版に較べて、庶民性が減っているようだ。セットが大がかりのようでいて、白黒映画のときの中古智のセットにあった細かい配慮がされていないし。

まあ、ともあれ、渋谷シネマヴェーラでは3月10日までこの特集上映が続くから、可能な限り清水の次郎長の世界に浸ろうと思う。東宝版は九話あり、東映版は四話。理想をいえば、物語の順番通りに見なくちゃいけないんだけど、勤め帰りや休日に通ったんではそうはいかない。やむえずも飛び飛びに見るしかないようだ。
| 2006年2月の映画 | 22:06 | comments(0) | trackbacks(0) |
映画「クラッシュ」
このロサンジェルスを舞台にした群像劇には人種差別的セリフがとても多い。黒人、白人、イラン人、アジア人など、異なる階層の人々が登場して、短絡的に他人を見下して嘲り合ったり、腹立ち紛れに暴力を働いたり、... 過酷な現実を虚飾なしで描いているともいえなくはないけど、最初はむしろ退屈な気持ちで見てた。社会の不正義に憤るポーズを見せるだけの映画かな....と。

ところが、後半は物語に知らないうちに引き込まれていた。重さの中に軽やかさが感じられ、終盤では画面に爽やかささえも漂っている。ハードボイルド小説を読み終えたような気分。「クラッシュ」は8人か9人かいる主要登場人物たちの人生が重層して進行する物語。人種差別は彼らを激しく突き動かす動機には違いない。でも、興味深いのは、ステレオタイプな言動に縛られている彼らが物語の進行とともに微妙に質を変えているところだった。

終幕で一台の車が炎上していて、スラムの子供たちがふざけて木ぎれなどを投げつけている。そこに黒人TVディレターの男が呆然と立っていて、空から白い小雪が降ってきて彼の肩にかかる。空を見上げる彼の視線がよかったなぁ〜と思う。でも、彼がどうしてそこにいたか?なぜ車が燃えているか?そもそも誰の車か?といったことを説明すると、ものすご〜く長い話になってしまう。

それから車強盗を何度も繰り返す黒人二人組がでてくる。「俺たちは人種差別されている」、「俺たちは被害者だ」といいながら、彼らは白人を揶揄するセリフを繰り返して、犯罪を重ねる。それだけなら、差別と差別の応酬に過ぎない。終盤では男の一人が難民らしきアジア人たちを解放しやるときには、「ええい!マヌケな中国人め」とやっぱり差別的なセリフを発してる。これも人種差別なんだけど、明らかに彼の気持ちが前半と違っている。口調にどこか優しさが籠もっている。そういうところが面白いなぁと思った。

映画って、最後は観客を感動させなくちゃいけない。特にアメリカ映画なら。でも、あり得ない美談を持ってきてしまっては、地に墜ちた安っぽい感動になってしまう。それをしなかった「クラッシュ」はある意味で映画のモラルをちゃんと守っているんだと言える。この「クラッシュ」を脚本・製作・監督している人は、クリント・イーストウッド監督の「ミリオンダラーベイビー」の脚本も書いているそうだ。見応えのある作品をみられてよかった。
| 2006年2月の映画 | 00:24 | comments(2) | trackbacks(2) |
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