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映画監督 豊田四郎特集 「波影』
若尾文子が演じると、娼婦が菩薩さまのように美しく慈悲深く見えてしまう。水上勉原作の小説の映画化。他に、乙羽信子、大空真弓、沢村貞子、中村賀津雄。
冒頭シーンが溝口健二監督の「祇園囃子」の似ている気がした。「祇園囃子」では若尾文子はひとりで京都の町を歩いて廓を訪ねるけど、「波影」では廓の主人に連れられて日本家屋の立ち並ぶ路地を歩いていくところが違う。若尾が演じる妖艶な女は、肉体で汚されれば汚されるほど、心の純粋さが際だつという設定がうまくはまる。男として彼女の前にたったら、もう堪らん!と抱きつきすがりたくなるような。この「波風」のヒロインもまさにそんな役柄。
この娼家の女将の乙羽信子はたしかにセリフ回しがうまいのだけど、仲居の浪花千栄子の演技のほうが味わい深くてやはり上手だと思った。妖艶な若尾文子は男の欲望に応えながら、実家にせっせと仕送りし、廓の主人家族とも仲良くするという、まるで聖女のような存在。やはり、この手の役をやらせたら、若尾文子の右に出るものはいないらしい。大空真弓に「きっと学校の先生になっておくれやす〜」と頼むときの声使いの色っぽさ、浜辺で溺れかけた娼婦仲間を救う姿の若々しい体つき。いいですね〜、若尾文子は。(7月14日 東京近代美術館フィルムセンター)
| 2005年7月の映画 | 00:47 | comments(0) | trackbacks(2) |
映画監督 豊田四郎特集 「喜劇 駅前開運」
井伏鱒二原作の映画化「駅前旅館」から始まった駅前シリーズの第22作目。1968年製作。冒頭近く、フランキー堺がビルの屋上で議員に説明してる。「この赤羽周辺には日本を代表する近代的な団地がひろがり、上野や池袋にも交通の便もよく・・・目下の悩みは開かずの踏切であります」

粗筋を知らずに見たから、ここでびっくり。僕は子供時代の数年間赤羽で育った。それも、あの団地だ。俯瞰にでてきた駅周辺の商店街、踏切、団地とその傍の駐屯地。小学校1年の頃に普段目にした風景そのままではないか!

赤羽駅を挟んで東口商店街のスーパーで安売り攻勢をしかけるフランキー堺は業績を伸ばして右肩上がり。一方、西口商店街の古い店で昔ながらの商売を続ける伴淳三郎と沢村貞子は売り上げを落として対抗意識を燃やす。その対立する地域社会でうまく泳いで、議員に掛け合ううえ、賄賂の上前を撥ねているらしい森繁久彌。ほかに森光子、野川由美子、大空真弓、藤田まことなど、芸達者を揃えてやはりオモシロおかしい。赤羽発展のために地下鉄を通してほしいとか、踏切の下に地下道をつくってくれとか、はたまたゴミ焼却場の建設に反対するとか。商店会が議員に陳情にいく場面をみながら、この映画、まさに昭和の高度成長時代を見せているなぁと感心した。最後に焼却炉の煙突から勢いよくあがる黒煙と、商店会イベント行列がともに写し出されて、凝縮されたエネルギーの迸りが感じれた。まさに時代がつくりだした駅前シリーズという気がした。
| 2005年7月の映画 | 23:45 | comments(0) | trackbacks(0) |
映画「電車男」
有楽座で「電車男」を見たあと、歩道を歩いているとエルメスの銀座店前を通りかかった。今まで一度も足を踏み入れたことのないブランド店。踏み入れたことがないといえば、2チャンネルの方だって、僕には未踏の縁遠い世界だ。すでに閉店したエルメス銀座店
ネット上の書き込みから、書籍化、映画化、テレビドラマ化と、おお、まだ続いているのかいと感心しないでもない『電車男」の映画版。主演は山田孝之と中谷美紀。監督:村上正典、脚本:金子ありさ。 
まずいえるのは結構、楽しめたということ。インターネットでつながる他人同士の連帯感という視点はよくわかる。エルメスという女性が今まで不思議というか、僕の想像力では思い浮かばなかったのだけど、女性脚本家の金子ありさは存在感を与えていたと思う。一旦、ひとりでホームに降りたエルメスが扉が閉まる直前に電車男の腕を掴んで引き寄せるシーンはなかなか情緒ある。ただ、中谷美紀は会社のビルの一階に押しかけてくる電車男と向かい合って話す場面あたりから、僕にはオヤジっぽくみえてしまった。人の心理も、ものの道理も、すべて心得ているような女。いわゆる男女関係からみたら、中谷のほうが男っぽくて、電車男がメソメソ女っぽいというか。冒頭から後半へのふたりの関係の逆転。そもそも彼女の話し方は不思議なイントネーションではないか。あのイントネーション、まるで役所広司を女にしたような話し方。エルメスの不器用さと真率をセリフで表現するとああなるというわけか。そういうわけで、中谷美紀は原作の設定よりずっと年寄りじみているのではと感じ(といっても、原作まともに読んでませんが)、終盤でオタクな電車男を受け入れる優しさは今ひとつ実感できなかった。
原作のアイデアをそのまま活用して、いかにも突貫工事で撮り上げた作品。でも楽しめたのは、時流にマッチした、しかし旬を過ぎているのでちょっと懐古的にも思える電車男現象のおかげか。けっきょく、これって書籍化とテレビドラマ化の橋渡しなんだね。最後のテレビ版の予告のような終わり方を見て、ふ〜ん、こんな映画の作り方もあるんだなと妙なところに感心する。エンディングは場内が明るくなるまで立ち上がらないことをオススメします。
Cocolog版電車男サイトでトラックバック受け付けていたので、便乗させていただいたら、あっという間に後続の中に埋没してしまった。ネットの勢いって恐ろしい。
| 2005年7月の映画 | 23:45 | comments(0) | trackbacks(1) |
映画監督 豊田四郎特集「雪国」
トンネルを抜けると雪国だった、の出だしで知られる川端康成原作の小説『雪国』の映画化作品。実際に映画は列車がトンネルを抜けて、越後湯沢に着くところで始まる。今では苗場などリゾートの玄関口になっている越後湯沢だが、この映画「雪国」では貫禄ある古い日本家屋が立ちならぶ美しい温泉町としてでてくる。越後湯沢の芸者・駒子を演じるのが岸恵子。彼女と恋仲になる東京の画家が池部良。駒の妹・葉子を初々しい八千草薫、温泉宿の仲居を浪花千栄子、その主人を加東大助らが演じる。他に、浦辺 粂子、田中春男、そして森繁久彌も県会議員というチョイ役ででるなど、多彩で豪華な顔ぶれ。この「雪国」は豊田四郎監督による渾身の力作といえるかも。フィルムセンターはこの日、行列ができて満席だった。

昔の温泉旅館の雰囲気がいい。階段があったり、曲がりくねった廊下があったり。出会って間もない芸者見習いのような駒子に対して、島村が「芸者を呼んでくれ」というのは、「オレは女がほしいんだ」と言外に売春を匂わせての言葉だろう。そこで、勘平という田舎っぽい芸者(市原悦子)が呼ばれてやってくる。芸者は男客の膳の残り物は気にせず食べるけど、女の残した食べ物は決して口に入れないとか、なんとか、おしゃべりしつつ、ケラケラ高笑いしながら、この太った芸者は炬燵にあたる島村にすりすり擦り寄ってくる。このシーン、妙に印象に残った。

いい仲になった島村と駒子が一緒に湯に浸かろうといって手ぬぐいを持って風呂場にいく。脱衣場で服を脱ごうとすると、別の男が入ってくるので、ふたりは顔を見合わせて隣の風呂場に行く。すると、こっちにも別の女がいる。で、島村が「なんだ、こっちもか」というと、駒子が「この人、按摩さんよ」といって、着物をどんどん脱いでいく。按摩さんは盲目だから風呂場で何したって恥ずかしくない、ということか?う〜、なんかこの、なんというのかなぁ・・微妙に猥褻なところがいい、と思う。「浮雲」( 成瀬巳喜男監督)でもそうだったけど、昔の映画では温泉宿での混浴シーンが珍しくない。「雪雲」の岸恵子と池部良、「浮雲」の岡田茉莉子と森雅之、これぞ日本映画二大混浴シーン(ちなみにヌード一切ありません)。

とにかく、越後地方の雪景色が素晴らしい。日本家屋の並ぶ街の佇まいの素晴らしさ!いまなら、新幹線で東京からすぐいけちゃうところなんだけど。そして、流麗かつ精緻なところあり、また一方、官能的なところ(いいかれば猥褻な)もある川端文学の特徴は、この映画でうまく表現されていると思った。結局、登場人物が何考えているかよくわかず、刹那的な衝動に突き動かされているように見えるのも、川端文学的かも。それにしても、なんで「雪国」は中学や高校で推薦される小説なんでしょう?芸者と旦那の関係とか、ちっとも国語の先生は説明してくれないのに!
| 2005年7月の映画 | 22:24 | comments(3) | trackbacks(0) |
映画監督 豊田四郎特集「新・夫婦善哉」
森繁久彌と淡島千景のコンビによる「夫婦善哉」(1955年)の続編。1963年に岡崎宏三を撮影監督にして製作。神社にお参りする浪花千栄子の姿を捉えるショットから始まる映像が見事だ(設定では法善寺横町ということ。俯瞰のショットではお初天神のようにも見える。社殿の提灯にもお初天神と確か書いてあったみたいだけど・・・)。
ところで、白玉ぜんざいや焼き餅のはいった田舎じるこは僕の好物。夫婦善哉というのは今でもあるらしく、ウェッブで調べたら、見覚えあり!道頓堀を散策したときに店の前を歩いたことがあった。→夫婦善哉

数年前に東京映画祭シネマクラシックで見た「夫婦善哉」と同様、この「新・夫婦善哉」も実に愉快で楽しめる。楽しいだけでなくて、昭和38年当時の日本映画の水準の高さに驚かされるといっていい。じっと画面を見てると、カメラの前に数多くの登場人物が現れては消える。田中春男をはじめ、それぞれが個性豊か。淡島千景が切り盛りする小料理屋の内部を写したショットの密度の高さといったら凄いと思う。登場人物の会話、身のこなし、表情の変化、そういう細部の積み重ねから全体の厚みができあがっている。

森繁が演じるのは、大阪の商家の放蕩息子が勘当された成れの果て。不倫の果てに結婚したしっかり者の女房を演じる淡島千景。二人の関係がうまく描写されている。東京の淡路恵子のアパートの雰囲気もいいなぁ。昔の葛飾っぽい。そこに小池朝男がやってきて、3人で雑魚寝して・・・と見ていない人にはなんだかわからないだろうけど、とにかく役者の演技でこれだけ魅せる作品は最近なかなかお目にかかれない。
| 2005年7月の映画 | 00:20 | comments(0) | trackbacks(0) |
映画「オープン・ウォーター」
アメリカ人カップルがカリブ海へバカンスに出かけた。スキューバ・ダイビングをぞんぶんに楽しんで水面に上昇してみたら、自分たちを乗せてきてくれたダイビング・ボートがない!置き去りにされてしまったらしい。カップルは広い海原を二人っきりで漂う恐怖を味わうことになる・・・ぷかぷかと大海原に揺れている二人を見ていると、不安になってくることは確か。彼らの足下には深い海の世界が広がっている。そこに生きる動物たち、たとえば鮫が今にも襲いかかろうと狙っているかもしれない。海ではなんて人間は無力なんだろう!

いかにも低予算で製作されたもの。B級映画というより、C級に近い。でも、怖いと言えば怖いから、それなりに楽しめる。単調なリズムで揺れ続ける水面を眺めていると、怖いけど眠くなるのは問題だけど。スキューバダイビングの経験のある人は、なるほどとうなずくところもある。一昼夜漂流して生還した人の話は聞いたことがあるし、ボートや人間がぐるぐる回る鮫に囲まれることもあるそうだ。まあ、映像に出てくるサメはどうみても餌付けされたものだというのはミエミエ。それに、あんなマヌケなダイビング・ガイドのボートには絶対乗りたくない!
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| 2005年7月の映画 | 15:40 | comments(0) | trackbacks(2) |
生誕百年特集 映画監督 豊田四郎 『風ふたたび」
またしても、京橋のフィルムセンターで豊田四郎特集。
6/30(木)7:00pm
風ふたたび(88分・35mm・白黒)
大学教授である父(三津田)の旅行中の急病をきっかけとして、離婚した香菜江(原)に二人の男が好意を寄せるが…。前年に黒澤『白痴』、小津『麦秋』、成瀬『めし』という名作に立て続けに出演し、女優としての盛りを迎えた原節子の主演作である。
’52(東宝)(原)永井龍男(脚)植草圭之助(撮)会田吉男(美)河東安英(音)清瀬保二(出)原節子、池部良、山村聰、浜田百合子、三津田健、杉村春子、龍岡晋、南美江、御橋公、菅原通済、十朱久雄、村上冬樹

さすが、原節子主演映画で観客の入りがよかった。
一度結婚に失敗した香菜江(原節子)が、映画館の売店の売り子をしながら、東京の親戚夫婦の家に寄宿している。実家から上京してきた大学教授の父が病気で倒れて、元教え子(池部良)の世話になることから、この父の教え子と親交を深める。一方、ふとしたきっかけで実業家の山村聰とも縁が深まり、ふたりからのプロポーズに心が揺れるという話。金持ちだけど軽薄そうな山村を捨てて、北海道へ夜行列車で旅立つ池部を追いかける原節子の最終選択は、「せきれいの曲」の轟夕起子の理想主義と似通っている点があるかも。同じような設定で、たとえば川島雄三監督ならまったく違った雰囲気の映画を撮ったはず。日本映画って、それだけの豊かさを有しているんだよね。
山村聰のなれなれしさに警戒して強ばって怯える原節子。大きな瞼を振るわせる彼女の麗しさよ。ああ、原節子は永遠のマドンナだなぁ。
| 2005年7月の映画 | 23:02 | comments(0) | trackbacks(0) |
映画と仕事、秤にかけりゃ...そりゃ映画!
ここんとこ、残業が続いて平日の仕事後に映画を見に行けず、週末にも用事が入って映画館のハシゴもできずと、欲求不満が溜まっていた。そういえば、京橋のフィルムセンターで豊田四郎特集やってるのに、まだ一度も行ってない。フィルムセンターのホームページでチェックすると・・
6/29(水)7:00pm
せきれいの曲(100分・35mm・白黒)
自分の作曲した旋律によって、音楽学校の学生(轟)と結ばれた作曲家(山村)。だが、離別の果てに不自由な身体まで背負った彼は、ラジオから流れてくる娘(有馬)の歌声に乗ってそのメロディに再会する。この時有馬稲子はまだ宝塚に在籍中、映画界入りする前の17歳。
’51(東宝)(脚)水木洋子(撮)三浦光雄(美)北川恵笥(音)大木正夫(出)轟夕起子、有馬稲子、山村聰、立花満枝、斎藤達雄、御橋公、村上冬樹、南美江、本間文子、三條利喜江、左卜全、大山健二、石黒達也、有馬是馬

フィルムセンターの紹介文は短いながら、見たい!という気を起こさせるので毎回感心する。というわけで、本日は事務所を脱出!なんとか仕事を終わらせて、7時までに京橋に到着した。映画と仕事を秤にかけりゃ、ああ、そりゃ映画とくるわいな、ハア、ソレソレ・・・

『せきれいの曲』は、往年の美人女優、轟夕起子がぽっちゃりした姿で登場。山村聡は才能豊かながら、時流に流されやすい音楽家として登場。ふたりの学生時代の恋愛エピソードの場面は実年齢がみえみえで、ぷっと笑ってしまった。第2次世界大戦を迎えて日本が軍国主義に押し流される渦の中での、二人の生き方の違いなどが描かれる。今の僕らには、時流に合わせる山村聰の生き方の方が現実的で、世間の瑣事に拘泥しない轟夕起子の生き方はちょっと青春時代の理想に執着し過ぎているきらいもあるのだけど。この作品がつくられたころは、まだ戦中の悲惨な記憶が生々しかったので、かえって理想主義を貫く人物像が求められていたのかもしれない。有馬稲子扮する二人の娘が清らかな歌声を発して、さあ新しい時代の夢を紡ごうよ、というところで物語は終わる。「せきれいの曲」という音楽自体は眠気を誘う曲調で、長い演奏場面ではちょっと困った。

映画が終わって、京橋の立ち飲み横町で一杯ひっかけた。地下鉄で墨田区の自宅に帰って、茶を飲みがら一息ついて時計をみたら、なんと10時半。まだ、寝るまでにたっぷり時間がある。おお充実していることよ。そういえばテキスト買ってあるんだから聴かなくちゃと、AMラジオのNHK第2放送にチューニングして、杉田敏先生ビジネス英語を聞くことにした。その日の会話のスキットを勉強したあと、最後にお決まりの英語の格言“Quote ...Unquote”のコーナーでこんな言葉を杉田先生は紹介してて、ギク!
"Quote ...Unquote"
The supreme accomplishment is to blur the line between work and play.
---Arnold Joseph Toynbee(British historian, 1889-1975)
究極の才とは、仕事と遊びの境をあいまいにさせる才能である。
仕事しながら遊び、遊びながら仕事をするのは、我々の夢。きっと立身出世する一角の人物は、僕が趣味に注ぐエネルギーを仕事にも注ぎこんでいるというわけだろう。うーん。果たして、僕の映画好きは仕事に役立っているのだろうか?考えさせられる格言ではある。とはいえ、これからも、フィルムセンター通いは続けようと思う。
| 2005年7月の映画 | 23:02 | comments(0) | trackbacks(0) |
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