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プリティ・プリンセス2 〜ロイヤル・ウェディング〜
かなり久しぶりにみるディズニー映画。なぜ、この『プリティ・プリンセス2』を見ることになったかといえば、今日は春めいた一日だったから。空気はひんやり冷たいけれど、暖かな陽光が青空から降り注いで、もう冬も終わりかとほっと寛げた。そして、僕は東京の下町にある銭湯の横をふらっと歩いていたら、煙突掃除用の巨大モップが道路脇に置いてあるのを見つけた。その瞬間、脳裏によぎったのは、“チンチムニ♪、チンチムニ♪、チンチムチェリ〜♪”という歌のメロディ。ジュリー・アンドリュースがかつて主演したミュージカル映画『メリー・ポピンズ』に出てきた歌だ。

ちょっと前に見た予告編で、この『プリティ・プリンセス2』にジュリー・アンドリュースが出演していることを知って、興味があった。今日、真っ黒に煤で汚れたモップを見て、「そうだメリー・ポピンズだ、ジュリー・アンドリュースを見にいけという、サインだ!」と判断した。確か数年前に喉を壊してしまったらしいが、それまでミュージカルの舞台に出演し続けていたジュリー・アンドリュース。実際、この『プリティ・プリンセス2』でも、彼女はジェノヴィア国の女王役として、品格があって優しさに溢れた魅力的な女性を演じていた。声を聞いて、ああやっぱり、メリー・ポピンズだぁ、と思った。純朴なヒロインから豊かな人間性を引き出し、礼儀作法も教え込むという、したたかな老王女役だが、『サウンド・オブ・ミュージック』の家庭教師役のときとほとんど違いがないんじゃないかと思えるくらい、若々しいオーラがあった。
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| 2005年2月の映画 | 00:07 | comments(0) | trackbacks(2) |
『タッチ・オブ・スパイス』
物語の後半、大学教授になった主人公がイスタンブールの橋に佇むシーンを見て、無性にイスタンブールに行ってみたくなった。主人公は地元の大学関係者に会ったり、懐かしい幼なじみと再会した時、どういうわけか英語で会話している。トルコ語が話される首都で、彼はまるで“異邦人”。でも、ほんとうはイスタンブールこそが彼の生まれ故郷の街なのに・・・

東ローマ帝国の首都だったコンスタチノープルが、イスタンブールと呼ばれるようになったのはいつなのか、僕はよく知らない。ともあれ、映画『タッチ・オブ・スパイス』は、コンスタンチノープルを異文化が混沌とまじりあう街としてノスタルジックに描く。ギリシア正教を信じるギリシャ人を父母に持ちながら、主人公はトルコの首都で生まれ少年時代を過ごす。スパイスを商う祖父との触れ合いによって、料理に強い関心を持つだけでなく、人生観も大きな影響を受ける。シナモン、ナツメグ、コショウ、・・スパイスの香りは政治・宗教の壁を越えて官能を与えるものらしい。観客席にいるこちらまでツバキが出てきそうなほど、香料の馥郁とした香りが漂い、美味しそうな料理を囲んで家族がドタバタ喜劇を見せる光景が続く。これらがきっと少年の心に幸福の原風景を与えたのだろう。しかし、その幸福に満ちた家族の団らんも、政治的な理由で壊されるに至る。ある日、ギリシャ系住民に強制移住の命令が下されたのだった。
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| 2005年2月の映画 | 22:29 | comments(0) | trackbacks(0) |
『ビフォア・サンセット』と『スクール・オブ・ロック」を結ぶ糸を考察せよ〜これが課題
先日、一週間の間隔をあけて再び見に行った『ビフォア・サンセット』。ちょっとした最近のお気に入り映画なのだが、それを紹介する雑誌の記事を読んでいたら、また無性に見たくなった。なぜ、こうも同じ映画を見たくなるのだろう?しかも、他の作品に較べて、「ここが素晴らしいんだよ!」と説明しにくい映画なのに。

『ビフォア・サンセット』という作品は、監督・脚本のリチャード・リンクレイターが9年前の自分の作品「恋人までの距離(ディスタンス)」の続編として製作したもの。“9年後、彼らは再会した”という設定はフィクションだけでなくて、主演男優・女優(イーサン・ホークとジュリー・デルピー)が実際にそれだけ歳をとっているという事実があって、その年月の年輪が彼らの容姿に表れていることも興味深い。まあ、といっても僕はその前作も見てないので、比較することもできず、ただスクリーンに映っている男女の会話が面白い!と思っただけなんだけど。

リンクレイターなんて知らない名だなぁと思っていて、実は監督のプロフィールを今夜初めてじっくり読んだ。そしたら、ああ、なんだジャック・ブラック主演の『スクール・オブ・ロック』(オフィシャル・サイト)の監督だった人じゃないか!『スクール・オブ・ロック」こそ、去年、音楽好きの友人とふらっと見にいってから数日後、同じ映画館の同じ座席に座ってまた同じ作品を見ていた作品だ。しかも、慎ましやかな小品で、愛らしく、また元気がでる映画。

やっぱり、僕は大作よりこういう映画に自然と惹きつけられてしまう性格らしい。そして、大事なことは、そういう「なんとなく好きで繰り返し見たくなる」映画のどこがいいのか、ということを文章で説明できれば、それがこのブログの目的に最も適うということだ。『ビフォア・サンセット』と『スクール・オブ・ロック』を結ぶ糸を解明することが、目下の僕の課題。でも、ふたつはまったく違う内容なので、どう筋道立てて説明できるのかは暗中模索。

今年は年が明けてから2回もインフルエンザで寝込んだ。そして、ここ最近も体調不良で映画館にも行けずにいる。復調したら、それぞれの作品を少なくとも一度ずつ見なくちゃいけないなどと考えながら、時間を過ごしているのだった。
| 2005年2月の映画 | 00:48 | comments(0) | trackbacks(2) |
映画『オペラ座の怪人』
『ヴェロニカ・ゲリン』を監督したジョエル・シュマッカーによるアンドリュー・ロイド・ウェバー作ミュージカル『オペラ座の怪人』の映画化。作者ウェバー自身がシュマッカー監督と脚本を練り直したという。
ヒロイン、クリスティーヌを演じるエミリー・ロッサムEmmy Rossumがとても美しい。1986年生まれで、撮影当時はなんと16歳だったとか。蕾のバラの花のよう、というとクサイ表現だが、そういいたくなるほど、初々しく可憐だった。さらに彼女が纏う衣装が粋で凝っている。最初にオペラ座の地下に降りていく格好はまるで胸ときめく(?)高級ランジェリーのよう。父親の墓地を訪れる時に着てた黒いロングドレスには溜息ついた。喪服みたいなんだけど、胸が大きく開いていたりして。そして、ラストに近い舞台で着てた衣装もセンスがよかった・・・となんか、コスチュームのことばかり思い出してしまう。この『オペラ座の怪人』を見ていちばん感心したのは、他の登場人物も含めて、俳優たちが着てた衣装だ。
劇場の支配人やイタリア人プリマドンナなど、コミカルな役どころが面白かった。パリのオペラ座が舞台といっても、今のオペラ座ガルニエじゃないようで、そこでコミック・オペラを演じている歌手や役者たちがみんな英語を話している。昔、ロンドンで舞台版を見たときは変に思わなかったけど、映画で見てみると奇妙な物語。仮装舞踏会のシーンのセットや衣装に見られるように、豪華さを強調する撮影に力が入っている。こうした映像が豪華絢爛な分、不気味な劇場地下の存在感が弱まっている気がしなくもなかった。しかし、地下へ繋がる通路の仕掛けはちょっと子供だまし。醜さに劣等感を抱いている怪人の人物像がちょっとぼけている。老人(ラウル?)が過去を振り返るという設定の時間の流れも、僕にはいまひとつぴんとこなかった。
それにしても、アンドリュー・ロイド・ウェバーの『オペラ座の怪人』は題名だけでなくて、作曲面でもオペラを意識していたと、この映画を見て強く感じた。特にクライマックスの三重唱(怪人、ラウル、クリスティーヌ)では劇的で格調高く聴かせてくれる。歌唱の面でも、ヒロインのエミリー・ロッサムは美しい歌声で申し分なかったと思う。ラウルに扮するパトリック・ウィルソンもお坊ちゃんぽいのと勇ましいのと両面がでてて上出来、やっぱり、怪人(ジェラルド・バトラー)が不満だったなぁ。
| 2005年2月の映画 | 23:31 | comments(0) | trackbacks(0) |
映画『運命を分けたザイル』
1時間分の酸素ボンベだけを渡されて宇宙にただひとり放り出されたら、どんな気がするだろう?って考えることがある。生きていられるのは1時間だけ。果てしない空間で銀河の美しさに圧倒されながら、その感動を語り合う相手もなく、孤独に死んでゆくなんて!「運命を分けたザイル」は雪山が舞台だけど、遭難した男の孤独感は、そんな宇宙空間にひとりさまようときのものと変わらない。しかも、氷点下以下の冷たい世界!

イギリスの登山家ジョー・シンプソンとサイモン・イェーツの二人が、1985年に未登頂だったシウラ・グランデへの登攀を試みたときの体験を映画化。落下事故で死の淵をさまよいながら奇跡的に生還したジョー・シンプソンは、後に自身の体験を文章化してノンフィクション本を出した。映画は、先のふたりの登山家とそのアシスタントだったリチャード・ホーキングの3人へのインタビュー、そして俳優による登攀の再現シーンの組み合わせで構成されていて、再現ドキュメンタリーの一種といえる。
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| 2005年2月の映画 | 00:10 | comments(0) | trackbacks(0) |
映画『THE JUON / 呪怨』
『呪怨2』を見たときの興奮がまた甦った。あれは九州に旅行してたときだ。熊本でひまな時間があって、飛び込んだ映画館で『呪怨2』をやっていたんだけど、これですっかり気に入ってしまった。清水崇監督の呪怨シリーズは、ある意味で、古典の域に入っているのかもしれない。どこがいいかうまくいい表せないんだけど、その才能に感服してる。

今回が特に目新しいわけじゃない。一連の作で共通していること、たとえば、呪いの場所となる日本家屋があること、そこを出入りした人々を巡って複数のエピソードが絡むこと、白塗りの亡霊がでてきて関係者が殺されてしまうことなど。この『THE JUON / 呪怨』の特色といえば、まあ外人が登場人物ということと、後半で時間の流れの見せ方にひと工夫があることかな。アメリカ公開用に派手めな仕上げを施しているけど、根本のところはやはり変わらないようだ。
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| 2005年2月の映画 | 00:38 | comments(0) | trackbacks(2) |
映画『サンサーラ』
エンディングのクレジットに『ジグザグの試み(Un essai de zigzag)』とあった。主人公サンサは世界中を旅する。パリ、リスボン、ミラノ、サンクトペテルブルグ、東京、カイロ、・・・でも、一般の観光旅行者というより、密入国者に近い怪しさを漂わせている。なんだかんだと国境でもめるわりにすんなり入国できるのは、お役人にお目こぼししてもらう特別な才能も持っているらしい。パリのモンマルトルで育ったといってるけど、どこのコミュニティにも属していない男。茶色の革ジャンを着たまま10年も風呂に入ってなさそうなむさくるしい格好だが、不思議にどの国に行っても地元の女たちにもてる。サンサがパリに戻ってきて北駅で当局に尋問されたり、他の移民たちと会話する最初の10分ほどで、主人公がどんな人物かを観客に分からせてしまうから、この映画を撮ったジークフリート(名前が怪しい!)は凄いと思う。
実は2年前にも東京映画祭でこの『サンサーラ』を見ていて、会場(渋谷文化村)で、監督・脚本・撮影・音楽をひとりで手がけるジークフリートの姿をロビーで見かけた。あれが彼だと誰もいってないけど、僕はジークフリートだったとなぜか確信している。派手な襟巻きをしていたことをのぞけば、主人公サンサとほとんど変わらない風貌。上映会のためにわざとそうしていたのかもしれないが、サンサ演じるロシュディ・ジェムを少し小柄にしたような感じで、得体の知れない不思議なオーラを発する人物であることは一目瞭然だった。
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| 2005年2月の映画 | 11:15 | comments(0) | trackbacks(1) |
映画『ビフォア・サンセット』
パリを舞台にある男女の会話をひたすら見せる作品。ジュリー・デルピーが演じるフランス人女性セリーヌと、イーサン・ホークが演じるアメリカ人作家ジェシー。ふたりはかつて、ウィーンで出会い恋に落ちた。9年後にパリで再会し、散歩しながら別々に歩んだ人生について語り合う。しかし、アメリカへ帰国するためにジェシーが空港へ向かわなければいけない出発時刻はすぐ間近に迫っていた。あとたった85分・・・

正しき“純愛映画”があるとしたら、この『ビフォア・サンセット』のことではないかと思う。なぜ9年間彼らは別々に過ごしていたか?理由は簡単。セリーヌの親戚に不幸があって、再会の約束の場所にいけなかったから。二人は互いの住所も電話番号も交換していなかった。ああ、こういう単純さこそ“純愛映画”の美点なんだよ、とニックに言ってやりたい。(ニックって誰?と思う人は『きみに読む物語』の感想を読んで下さい)

夏のパリではなかなか日が沈まない。夕暮れ時の柔らかな陽光が街を包み込み、セーヌの川面に吹く微風が、ジュリー・デルピーのまとうノースリーブの服の生地をはためかせる。彼女の背中の肌がちらり、ちらりと見えるたびに、僕の胸はときめいた。周囲に迷惑をかけながら、愛、愛と大騒ぎするより、このカップルのように、胸に想いを秘めて目線を交わし、冗談を言って戯れあう光景のほうが、“純愛”という言葉にふさわしい。
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| 2005年2月の映画 | 11:59 | comments(0) | trackbacks(1) |
映画『きみに読む物語』
ヒロインの老女は、記憶障害のせいか、自分の名前すら忘れている、いわゆる老人性痴呆症。だが、ピアノの前に座ると、目と体が記憶を取り戻し、楽譜を読みながら曲を奏でることができる。そんな彼女を頻繁に訪れる老人がいて、手書きのノートに記された物語を読み聞かせる。それは、製材所で働く青年ノアと、裕福な家庭の令嬢アリーの間のひと夏の恋の物語。老女は「その話、どこかで聞いたことがあるわ」と、脳裏から記憶の糸をたぐり寄せようとするが・・・

美しい湖畔や祭りの風景が美しい。素朴なノアの家、彼の父親の男らしい話し方もよかった。それにしても、アニーの頭は空っぽ、お気楽に暮らすお嬢様にしか見えない。いったい何に感動してほしいのかな。純愛?前半は身分の違い、後半は老いとアルツハイマーが恋人たちを引き離そうとする。二人を引き離そうとする状況は過酷なほど、純愛ムードが美しく奏でられる。つまり、そういうこと?韓国映画みたいに、突然、交通事故が起こったりするほうが、ずっと純愛ものっぽい気がするのがだが・・・
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| 2005年2月の映画 | 10:48 | comments(3) | trackbacks(1) |
映画『トニー滝谷』
村上春樹による短編小説の映画化。イラストレーター、トニー滝谷をイッセー尾形、その妻を宮沢りえが演じる。このふたりが主要な登場人物で、他は存在感が薄い。というより、主役も含めて登場人物の存在感が全体的に希薄な感じがする。いちばん存在感のあるのはナレーションを担当する西島秀俊の声かもしれない。また、ナレーションとして読み上げられる言葉の一部が、役中の人物によって発せられることがしばしば。ちょっとややこしい形式だが、演劇では時々ある手法かも。イッセー尾形も宮沢りえも、実年齢をあまり感じさせないのは、彼らの生活臭を感じさせないように撮影してあるせいだろう。

簡素な部屋に置かれた机でせっせとイラストを描く主人公、宮沢りえの寂しげな表情を捉えるクローズアップ、丘の上にぼんやり立つひとの頭上に雲が流れる風景。各シーンは一見互いに関連性なく、日常から切り取られた風景のように見える。トニー滝谷(イッセー尾形)の少々変わった生い立ちが紹介され、彼が仕事上の付き合いから、かなり年下の女性(宮沢りえ)と出会って結婚。彼女には、絶えず新しい洋服を買い続けるという奇癖があって、それが後の不幸の原因となる・・ちょっと奇妙なストーリーだけど、人を愛したいという気持ちと、また、何かに執着していないと落ち着かない性癖、孤独から逃れられない宿命などに、ちょっと想いを馳せたりして、それなりに興味深かった。
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| 2005年2月の映画 | 00:22 | comments(0) | trackbacks(1) |
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