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カーテンコールと春の雪
カーテンコールの看板レトロな雰囲気のふたつの日本映画、「カーテンコール」と「春の雪」を見た。

藤井隆と伊藤歩主演の「カーテンコール」。下関の映画館で、上映前に前座に映画の主題歌を歌ったり物真似をする場面は情緒があってよかったと思う。藤井隆も役柄にはまっていた。
伊藤歩がさびれた映画館を訪れ、切符もぎりの藤村志保の話を聞く。ごくごく自然に昭和30年代の雰囲気が画面に溢れだしてくる。ここで実は、今時の若者の心理としては、こんなにやすやすと時間の隔たりを越えられるものなのかな?安易じゃない?と思わなくもなかったのだけど。
充分に泣かせどころもあるけど、難を言えば、レトロな雰囲気を醸し出す以外に、じゃあ何を伝えたかったのか?はっきりしないことじゃないかと思う。物語の奥底に在日朝鮮人のことがあるんだけど、この点に関してはかなり中途半端。鶴田真由の気持ちの動きが僕には読み切れなくて、最後に娘を捨てた父親と彼女が和解に至る理由も納得がいかなかった。

三島由紀夫原作の「春の雪」。こちらは馥郁とした文学的な香りが漂う映画だった。時代がかった邸宅の装飾、劇場の階段やロビー、特に雪の降るシーンが美術的。入念にロケハンしてあるなと感心。ああ、あそこだ!って知っている都内の場所も出てきた。冒頭の日本庭園で妻夫木聡と竹内結子が言葉を交わすところでは妙な映画だなと思ったのだけど、段々と引き込まれていったのは、行定勲監督がうまく登場人物のキャラクターを生かして物語を進めているからだと思う。
ただ、後半はどうもついていけない。尼になってしまったヒロインを追いかける主人公を見ても、これはちょっとぉというか、まったく感慨が湧かなかった。ああ、三島の文学の世界って観念的なのかな。とはいえ、力が入った作品で、とても楽しめたし、個人的には好きでなかった三島文学にまた興味が湧いて、この原作も読みたくなった。

| 2004年12月の映画 | 01:25 | comments(0) | trackbacks(0) |
シルヴィア
シルヴィア・プラス (1931−1962)とイギリス人、テッド・ヒューズ (1930-1998)。二人の男女の詩人・作家が出会って結ばれ、精神不安定に陥ったシルヴィアの自殺で結婚生活の幕が閉じられるまでを描いた作品。

アメリカの上流階級出身のシルヴィア・プラスが、イギリスのケンブリッジ大学に留学中、才能豊かな詩人、テッド・ヒューズにパーティで出会う。お互いに一目惚れし、結婚する。先に世間に注目されはじめた夫を妻が陰で支える形で、アメリカ、そしてイギリスで夫婦生活を続ける。が、その生活も決して順調とはいえなかった。浮気の噂が絶えない夫への猜疑心に悩まされるシルヴィア。妻、母、そして詩人としての生活の苦労は、彼女の心を圧迫し、ついに破局を迎える。

深刻で暗い内容のようだが、僕は見ている間、シルヴィアを演じるグウィネス・パルトロウの表情と身のこなしの美しさ、かっこいいファッション・スタイルにばかり気をとられていた。彼女を見ている限り、暗さも鬱屈も感じられない。このストーリーは実話に基づいているのだろう。夢を持ち、恋愛をし、結婚して、家事と仕事の両立に心を砕く女性の姿は、いつの時代でも共通している。そうなのだけど。う〜ん、申し訳ないが別世界に生きる人々の物語という気でのんきにみていた。これは、おそらく、“女優グウィネス=セレブの世界”/“詩人シルヴィア=芸術家の世界”という、ふたつが写し鏡でみる相似通った世界のように感じられるからだろうか。セレブの世界も華やかだし、詩人の世界もよくわかんないけど憧れる。芸能人が恋をしたり、仕事に悩んだり、結婚に失敗したり、・・という流れを、そのまま詩人に置き換えて見せている、という気がどうしてもしてしまった。その点で、「シルヴィア」より、古いけど同じくイギリスを舞台にした「日陰のふたり」の方がずっと胸を締め付けられた。

付け加えて、物語がセリフで説明されすぎている。耳で聴いて、はいはいと、展開がよく理解できる。むしろ、よく分からないながら心のどこかに引っ掛かってくれていた方が記憶に鮮明に残るというものだ。たとえば、シルヴィアはティーンエイジャーの時に自殺未遂を犯したことがあると、本人や母親がテッド・ヒューズに説明する。シルヴィアが最後に自殺する伏線として、ここで説明されているらしい。でも、この説明は言葉でだけ。また、二人の男女の濡れ場も、今回は割と大胆にグウィネス・パルトロウが裸体を見せているのだが、それほど官能的に感じられなかった。愛されたい、という彼女の思いは切々と伝わってくるのだけど、・・・

やっぱり、パルトロウに肉欲をそそらせる女を演じさせるのは無理なんだろうか。知的で、爽やかで、高貴な印象を与える彼女の美貌(出産後、お尻が大きくなったかも?あ、失礼しました)は、まさしく“セレブ!”って感じ。そういう意味では彼女は美しかったし、不満を言ってはバチがあたる。映画としてはイマイチだが、ポスターの写真は今でも眺めてうっとりしてる。
| 2004年12月の映画 | 02:00 | comments(0) | trackbacks(0) |
ドキュメンタリー映画『スーパーサイズ・ミー』
「スーパーサイズ・ミー」は、一ヶ月間、毎日三食、マックに通いつめて、モーガン・スパーロック監督自身の体にどんな影響が現れるかをリポートしているドキュメンタリー映画。吐き気を押さえてマックに通う間にも、病院に行って体調をチェックしたり、栄養士のアドバイスを聞いたり。生活しているニューヨークだけでなく、ロサンジェルス、ヒューストンへと、全米各所でマック詣を繰り返し、ご当地バーガーも試してみる。店員がビッグサイズやスーパーサイズを薦めれば、逆らわずにそれらを注文。同棲しているガールフレンドはベジタリアンらしく、彼がみるみる体調を悪くし、しかも情緒不安定、インポにまでなっていくので、彼女はハラハラしどうし。ドクターストップがかかりながら、なんとかひと月が過ぎたころには・・・

アメリカは確かに肥満の国。これは全米のどこの都市にいってもわかる。レストランに入れば、濃い味の料理が山のように出てくる。初めは、うわぁ、量多いね、といっても、三日でいやになる。スタバにいっても、ショートがなくて、トールとグランデと、そのまた上のバケツみたいなカップが用意されている国だ。子供たちは、あの外食の味に慣らされて、いったいどうなるやら? まともな味覚と常識がある人なら、誰でも心配になるだろう。日本でも事情は似てきていると巷の噂もある。
  • スーパーサイズのコーラとフライドポテト、ビッグマックの合計カロリーを消費するには、7時間歩き続けなくてはならない。
  • 毎日、4人に一人のアメリカ人がファーストフードレストランに足を運ぶ。
  • アメリカで最も食べられている野菜は「フライドポテト」。
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| 2004年12月の映画 | 14:39 | comments(2) | trackbacks(2) |
映画「ヴィタール」
浅野忠信が演じる主人公は自動車事故で記憶を失う。退院して自宅に戻されても、他人の家にいるようで、呆然する日々を過ごしていた。しかし、医学の参考書にだけは、異常なほど興味が引きつけられる。勉強もできる。彼は医大の入学試験に合格し、父親と同じく医師への道を歩み始める。
解剖実習のクラスがあり、ひとつの死体をじっくり少しずつ、教授の指導の元に解剖していく。やがて、その死体が、自分が運転していた車の交通事故で亡くなった恋人の死体だという気がしてくる。彼女の解剖を通じて、様々な記憶が甦ってくる。一方、医大の同じ解剖クラスにいる若い女性とも関係を持つようになる。解剖室での三角関係が生じだし、現実の女と記憶の女のイメージが交錯し反発しあう…

まじめに考えれば、へんてこな設定だ。でも、見かけの本当らしさは重要じゃない。浅野忠信が医大を目指す学生には見えないといって、笑ってはいけない。『鉄男』以来、映画作家としての塚本晋也は、世界に潜む不気味な力を甦らせる呪術師のようだ。壁にシミだらけの古びた解剖室、旧様式の大学校舎、死んだ女が見せるバレエの様式的な動き、男の青い部屋、降り続く雨、雨、雨…。沖縄のガジュマロの樹と、肉体の筋肉や神経の繊維や骨格との、形の類似性。女の筋肉組織をひとつひとつ解体していくことで、甦る記憶。そして、不思議な音響効果。ひとことでいえば、「バロック的世界」という言葉がぴったりくる。

僕はおどろおどろしい映画は苦手な方だが、この「ヴィタール」はとても落ち着いた気分で鑑賞を楽しめた。解剖シーンがあるといっても、血が流れないので、別段怖くなかった。また、ある意味で僕にとって、映画の理想の形がここにあるような気がした。映画には物語があって、また、その物語では語りきれないものがある。たとえば、この作品には最初に書いたような物語がある(あくまで僕の解釈)。一方で、物語を越えているものが、僕の脳の中枢に届いてくるような気がする。生命のエネルギーというか、膨張する世界の力というか。言葉で表そうとすると安っぽいが、そういう感覚だ。

ちなみに、映画の感想をブログなどに書くとき、ストーリーの要約から書き出すひとと、あらすじの説明なんかまったく書かないひとがいる。僕は当初、あらすじの紹介は不要と思っていたが、最近はつとめて書くようにしている。まず、物語の解釈はひとによって違うはずなので、こういう物語だよ、と紹介すること自体に、自分の映画の見方がはいりこんでいるから。そしても、もうひとつは、通俗的な物語を出発点として、それを越えるなにか表出する映画に出会いたいから。その見きわめのためにも、とりあえず物語の要約から入ろうと思って、いつも書いている。でも、ひとによって、解釈が違うんだろうなぁ・・・(話が横道に逸れました)

とにかく、塚本晋也の作品は、一作ごとの質の差はあっても好きだ。「BULLET BALLET」はそれほど好きじゃなかった。『6月の蛇』は変態的でけっこう好き。この「ヴィタール』は、最近の作品ではかなり傑出していると思う。
| 2004年12月の映画 | 11:19 | comments(0) | trackbacks(4) |
映画『五線譜のラブレター』 
年老いた男がマンションの薄暗い一室でピアノに向かっている。窓の向こうに広がっているのはニューヨークの美しい夜景。座っている男は、落馬事故で足が不自由になり、車椅子での不自由な生活を強いられているアメリカの作曲家コール・ポーター。これまで数多くのヒット・ミュージカルのために、人生を謳歌する明るい歌を書き続けてきた。今、自身の人生の幕引きを迎えて、ひたすら彼の胸に湧き起こるのは亡き妻と過ごした日々にまつわる想い出ばかりだった・・・映画『五線譜のラブレター」は、死を目前にしたコール・ポーターが演出家の旧友と会話しながら振り返る自分自身の生涯を映像化している。
(
僕自身はコール・ポーターのミュージカル(代表作『キス・ミー・ケイト』など)は、実際の舞台でみたことがない。でも、ハリウッドで映画化されたミュージカル映画だったら、多少知っている。ジーン・ケリー主演「魅惑のパリ」(Les Girls)の"レ・ガール!レ・ガ〜ル!”とか、ビング・クロスビー主演の「上流社会」(High Society)なら、”ハイ、ハイソ、ハイソハーイ!”とか。意味がわからなくても、つい真似して口ずさみたくなる英語の歌。メロディーが美しく、リズミカルな英語独特のイントネーションにぴったりあっている。

たとえば映画の中に出てくる”Let's do it"は耳に焼き付いて、映画館を出たあともしばらく口ずさんでいたくなる。
Birds do it, bees do it
Even educated fleas do it
Let's do it, let's fall in love

In Spain, the best upper sets do it
Lithuanians and Letts do it
Let's do it, let's fall in love

裕福な家庭に生まれ、有名大学を出るほど頭がよくて、音楽センスが抜群だったコール・ポーターをケビン・クラインがうまく演じている。一方、妻のリンダを演じるアシュレイ・ジャッドも美しく品格があって、さすがという感じ。ポーターは大した仕事もせず、パリで遊びほうけていると、ある夜会で離婚した裕福な女性リンダと出会い、結婚する。実はポーターは同性愛者でもあったのだが、ポーターと人間的に深く結ばれたリンダは、彼を激励し陰から活動を支える。そうして、ポーターは美しい歌を次々と作曲していくという話。ミュージカルの華やかで贅沢な世界と同様に、コール・ポーター自身も贅をつくした人生を過ごしていたようだ。少なくとも、妻のリンダが生きている間は。

物語を書き出すと、なんだか甘ったるい美談のように思えてきた。でも、見ている間はそんなことはつゆも思わなかった。もう死を目前にしたポーターが、無償の愛を捧げてくれた妻を想い、自問自答しながら脳裏に思い浮べる場面が、華やかな音楽やダンスとともに、映像になっているわけだから、こちらもついほろりときてしまうわけだ。なにより、ポーターの書く歌が美しい。人生の哀しみも感じられるもの憂い調子から始まって、段々と旋律が明るく輝きだし、ついに人生を謳歌するような快活な調子に変わっていくところがいいんだな。

ミュージカル劇が挿入されているといっても、それほど振付や演出が凝っているわけじゃない。また、あまりにリンダが妻の鏡のような存在なので、ほんとうはもっと違う夫婦関係なんじゃないの?と疑わなくもない。が、が、である。あくまで、あくまで、ポーターのミュージカルの歌と人生を絡めた人情劇として見ればいいと思う。LET'S DO IT♪とつい口ずさみながら、温かな思いで劇場を後にできるだろう。
| 2004年12月の映画 | 02:05 | comments(1) | trackbacks(1) |
「天空の城ラピュタ」
昨晩、テレビで放映されていた「天空の城ラピュタ」を見た。設立したばかりのスタジオ・ジブリによって86年に製作されたという、この作品には、宮崎駿の世界の原点があるように感じられた。

たとえば、高い空への憧れ。争いごとの多い地上から、清浄な空気が流れる天空への憧憬の気持ち。父親がたったいちどだけ飛行機の上から見たことのある『天空の城』を再び見つけ出すことを夢にしている少年。

主人公の少女シータは飛行船から真っ逆さまに落下して坑道の入り口で働く少年パズーに出会う。二人は政府に追っかけられて地下の洞穴に逃げ込んだりしたあと、海賊たちの風の力を利用する奇妙な海賊飛行船に乗って、天空の城、ラピュタへ辿り着く。『千と千尋の神隠し」でも、風呂屋の地下ボイラー室と天守閣みたいな最上階との間を頻繁に高速エレベーターで移動していた。

キャラクターも似ている。海賊たちのリーダー「ママ」は自分で50歳っていってたけど、もっとおばあさんに見える。『千と千尋」や「ハウル」でも、おばあちゃんは力強く元気だ。ヒロインは初めは恐がりさんだが、少しずつ恐怖を乗り越えて、仲間に支えられながら運命と向かい合えるようになる。

この『天空の城、ラピュタ」は、最近の宮崎駿作品に比べて、ずっと絵がシンプル。物語に教訓性もなく、キャラクターは底抜けに明るい。子供の頃見慣れたTVアニメ、ルパン三世を思い出すキャラクターたちの表情。特に、“ママ”に率いられた海賊の一団はユーモラスで、おかげで楽しく見ることができた。
| 2004年12月の映画 | 09:17 | comments(0) | trackbacks(0) |
映画『犬猫』
同棲する男に嫌気がさして、アパートを飛び出したスズ(藤田陽子)。一晩泊めさせてもらおうと友人(小池栄子)の家に行ってみると、住むところを探していたヨーコ(榎本加奈子)がきている。友人は海外へ留学に出発し、留守中、スズとヨーコが同じ家で共同生活することになる。二人は古くからの知り合い。しかし、性格が正反対で、なぜか同じ男を好きになってしまう。スズの別れた元カレも、以前はヨーコと付き合っていて、スズに心変わりしたらしい。ヨーコが気になるバイト先の男の子を、スズが勝手に家に招いたことで、二人の間に溝が深まり・・・

東京で暮らすいわゆる“フリーター”の女の子たちの日常。ちょっと街中からはずれているが、庭付きの日本家屋に暮らすスズとヨーコが羨ましい。昔の映画で原節子主演の『驟雨』とかに出てきた家にそっくりだ。初春の晴れた日に、縁側に腰掛けて二人が並んで会話したり、爪を切ったりする光景がほのぼのしている。スズがみつけた野良猫が縁側から出入りしたり、最後に雨が降ってきて、洗濯物が濡れてしまうシーンを見て、この成瀬巳喜男の世界に影響を受けいているのは明らかだ。(監督・脚本は井口奈己という女性)

物怖じせずノー天気ばスズと、慎重派で胸に思いを溜め込んでしまうヨーコ。ふたりは性格は違うけど、背格好はけっこう似ている。スズが自分の白いワンピースをヨーコにあげたり、めがねをコンタクトにしたらもっとモテるよっと薦めたり、やはり二人は通い合うものがあるらしい。同じ男に惚れる重大なトラブルが発生しても、ふたりが離れないで暮らしているし、ヨーコは酔いつぶれたスズの代わりにアルバイトに出かけたりする。スズもヨーコも相手を裏切っている訳じゃない。むしろ、女同士の温かな友情も感じられて、とても爽やかだ。劇的な展開はないけど、縁側に寝そべって、春の庭先を眺めるような、ほっとした気分になれる映画。

とりたてていえば終盤近くの場面がよかった。ジャンパー姿でヨーコが犬を散歩させているとき、土手に立って指の包帯をとってみる。まだ寒い冬のようでもあり、春が近づいている気配も漂う。彼女のどこかふっきれたような表情。いや、ただ傷が治ったというだけかもしれないけど、僕には彼女の顔が爽やかに思えた。川辺にヒバリの鳴き声が聞こえたのはちょっと早すぎの気がするが、空には灰色の雲が湧き起こり、ほんの少し空気がなま暖かそう。そして、春雨が降り始める。

一方、屋内で寝ころぶスズ。窓の外、ヨーコにあげた白いワンピースが濡れたままなのに気がつき、下着姿のまま、庭に体を乗り出して、軒下の濡れないところに服をとりこむ。やはり、なんとなく、春の気配。この映画のもっともよかったシーンだ。
| 2004年12月の映画 | 12:10 | comments(0) | trackbacks(5) |
映画「僕の彼女を紹介します」
ロングヘアーのチョン・ジヒョンが演じるエキセントリックなヒロインの、颯爽とした歩き方とスリムな体形に見とれてしまった。なかなか楽しめる映画だと思う。若い女警察官が、ひったくりを追いかけていた若い男の教師(チャン・ヒョク)を、犯人と間違えて逮捕してしまうことから出会いが起こり、やがて二人の恋愛に発展する。

警察署内のやりとりはドタバタの連続でコミックを見ているみたい。凶悪犯人との銃撃戦でも、警察官がこんなにピストルを撃つのがへたくそでいいの?ってくらい、リアルさに欠ける。だからこそ、後半の痛ましい事故も起こってしまうのだが。警察の制服姿の彼女はとても魅力的。4輪駆動車に乗った彼が、広場に立つ彼女の周りをぐるぐる回るシーン。彼女がピストルを撃つまねをするところでは、ああ、僕もあんな仕草でふざけてもらいたいなぁ、と素直に思った。
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| 2004年12月の映画 | 21:13 | comments(0) | trackbacks(1) |
映画 『ジョヴァンニ』
ヨーロッパの古城に行くと、本当に貴族たちここにが住んでいたのかと?首をかしげくなるほど、殺風景なことが多い。剥き出しの石の壁、堅いベッド、冷たい床。天井の高い部屋はいくら壮麗でも、寒々として住みやすそうじゃない。冬だったら、暖炉があっても寒くてしかたないだろうに。映画『ジョヴァンニ』を見ると、そんな城に暮らした人々の生活が実感として伝わってくる。時代設定は、宗教革命が起こった後に、カトリック教会が威信を失っていくころ。名門メディチ家に生まれ、教皇と血縁関係にあったジョヴァンニ・デ・メディチの壮絶な生き様を描いている。

少なくとも映画では美男子のこの男は、カトリックの正義を信じて、ドイツから攻めてくるルター派の軍隊と絶えず戦い続けた。領主たちが生き残りのために陰謀が渦巻くところは、日本の戦国時代のよう。荒涼とした原野で戦争に明け暮れるジョヴァンニのような貴族がいる一方で、派手な夜会を催したり、束の間の不倫を楽しむ貴族たちもいる。ジョヴァンニ自身も献身的で清貧の生活をする妻がいながら、人妻との情熱的な恋にのめりこんだする。彼も肉欲を持った人間であることに変わりないのだ。

貴族たちの衣装や戦士たちの鎧の豪華さ、真冬のヨーロッパの荒涼とした風景、戦乱に逃げ惑う人々など、時代の雰囲気に溢れている。しかし、あまりジョヴァンニの崇高な宗教心らしきものは伝わってこなかった。ジョヴァンニは幕下の兵士たちに給与が払えず、攻め滅ぼした村を兵士が略奪するのを放任しておくほかない。しかし、兵士たちが寒さのあまりキリストの木像を薪にしたことを知ると、怒り狂って彼らを縛り首にしてしまう。ここら辺の場面の描き方は、ちょっと強引すぎる。現代のハイテク兵器による大量殺戮のはじまりを、この時代に使われ始めた銃器に起源があるように持って行くあたりも、ちょっとついていけない。そういう歴史的な反省をさせるための作品とは予期してなかったので、ちょっとびっくりだった。
| 2004年12月の映画 | 22:38 | comments(0) | trackbacks(0) |
映画『山猫』の感想を急いで箇条書き、のつもりが。
昨晩、『千と千尋の神隠し』を途中までしか見られなかった悔しさから、夜中までいらいらし、寝不足でぼぉっとしているのに、新宿テアトルスクエアで、ルキノ・ヴィスコンティ監督の大作『山猫』を見に行った。

泣いた。何度も泣いた。これで何回目の鑑賞か?僕もだてに年取ってないからね。20代前半で初めて見て、おそらくこれで5回目ぐらいか。”完全版”と銘打った3時間余りのバージョンだが、一瞬、一瞬がいとおしかった。最近の自分の生活そのものが馬鹿馬鹿しくなるくらいに。

1)始まって間もなく、タンクレディ(アラン・ドロン)が革命軍に参加するといって、サリーナ公爵(バートラン・カスター)に別れの挨拶をする場面で、まず涙がこぼれる。一匹の犬が彼の腕を軽く噛んで行く手を遮ろうとする。振り払って馬車に飛び乗るタンクレディ、そして日傘を差してバルコニーから見送る女性たち。ニーノ・ロータの音楽が流れ、ああ美しすぎる・・・
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| 2004年12月の映画 | 23:57 | comments(1) | trackbacks(1) |
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