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映画「ロスト・イン・トランスレーション」
土曜日の午後に開演30分前に到着してチケットを買おうとすると、「立ち見でもいいですか?」ときた。その後の予定がずらせないので、やむなく通路に腰掛けて鑑賞する。

この作品は、結婚後25年たつ中年映画俳優ボブとカメラマンの妻で結婚2年目の若い女性シャーロットとの旅先(東京)での心の触れ合いを描く。俳優ボブはいつも疲れた表情で、いかにも人生の岐路に立たされた中年。電話で妻と話せば心のすれ違いに苦渋を感じ、慣れない日本式応対に戸惑っている。一方、シャーロットは新妻らしく溌剌と見えるが、内面に空虚な気持ちを押し殺している。観光に出かけても何の感動も味わえず、呆然とホテルの天上を見つめて時間を過ごす。時差ぼけと寂しさで眠れない二人は、やがてホテルのバーで言葉を交わすようになる。登場人物の内面をさらけだすこともなく、ホテルやタクシーの窓ガラスに東京の景色が映っては流れ去るように、二人の表情にもの憂い感情が浮かんでは消えるのを透明感のある映像で見せる。
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| 2004年4月の映画 | 18:35 | comments(0) | trackbacks(1) |
映画「永遠の語らい」
ポルトガル人の母と娘がインドにいる父親に会いに行くために旅をする。航空機に乗れば楽に1日でいけるところを、歴史学者でもある母親は様々な土地を歩きたい、娘に見せたいという思いで、客船で旅することを選ぶ。マルセイユ、ナポリ、イスタンブール、カイロ、そしてスエズ運河を通過して紅海へ。その旅路での出会い、そして思いもしなかった事件に遭遇し・・・

僕の中では「観光」と「映画」はとても相性の悪いものということになっている。旅は好きだ。でも、観光的な映画は面白くない。絵葉書のような構図で撮影された風景は、映画がもっとも嫌うものだ、と。「永遠の語らい」(マノエル・ド・オリヴェイラ監督)を見て驚くのは、そんな思いが払拭されて、ただうっとりと見惚れてしまうことだ。
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| 2004年4月の映画 | 18:26 | comments(0) | trackbacks(0) |
キューバ映画への旅 「苺とチョコレート」
「苺とチョコレート」(1993年 トマス・グティエレス・アレア監督)
今回のキューバ映画特集の中で、初めて見た革命後のキューバの状況を描いた作品。登場人物が同時代政府への批判を含む発言をしている点で注目される。
農民の出身で大学で学んでいる青年ダビドが、インテリで同性愛者のディエゴと出会う。ストレートなダビデ/ゲイのディエゴの対照が作品を印象深くしている。当初は警戒していたダビデが、やがてディエゴから影響を受けつつ、より広い視野で人生を見ることができるようになる、というのが映画のテーマだ。
ダビドは、恋愛や性に悩んだり、友人からディエゴの動向を探ってみろといわれて真に受けるなど、まったく普通の青年らしさが出てている。現政府の思想教育になんの疑問も感じずに、大学に行けるのは革命による恩恵と信じている。
一方ディエゴはふたつの意味でキューバに生きることの困難さを感じている。ひとつが、ゲイであることから来る周囲の差別。もうひとつが、現政府の政策に懐疑的なために抗議行動を起こし反体制派のレッテルを貼られていること。映画では語られていないが、ディエゴは、革命前からある知識人階級の出身なのかもしれない。
この映画がこれまでキューバ映画特集で見た作品と違うのは、キューバ革命後の社会や政府に対して批判的な発言が登場人物によってなされること、そして最後にディエゴが国外へ亡命するようなニュアンスで終わっていること。ソ連邦の崩壊や冷戦終了と関係があるのかもしれない。キューバ国内で、音楽やダンスと同じく、映画も海外に輸出できる文化のひとつとして認められたということなのだろう。
| 2004年4月の映画 | 23:58 | comments(0) | trackbacks(0) |
映画「スパニッシュ・アパートメント」
パリに住むグザヴィエは大学で経済学を専攻した後、卒業を控えた学生で、就職活動の一環として父親の友人(エリート官僚っぽい)のオフィスを訪ねる。すると、EU統合の時代、これからはスペインの経済をよく知らなければいけないとアドバイスされ、一年間恋人とも別れてバルセロナの大学に留学することを決意する。空港で知り合ったフランス人脳神経科医師のアパートで世話になりながら、長期滞在のための住居を訪ね歩く。結局、住宅難のバルセロナでは自分のアパートが見つからず、様々な国籍の学生たちが一緒に生活するアパートの一室に引っ越すことになる。「スパニッシュ・アパートメント」の原題《L'Auberge Espagnole》は「ごちゃまぜ」という意味があるらしい。主人公グザヴィエは、この異国に滞在しながら、スペイン人、イギリス人、ドイツ人、ベルギー人たちと国境を越えた友情を結び、恋人との心のすれ違いや、色っぽい人妻との情事(羨ましい!)など、これまでなかった経験をすることになる。

アイリッシュパブ(文章とは何の関係もありません)
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| 2004年4月の映画 | 21:49 | comments(0) | trackbacks(0) |
さすが中国、と思ったこと(映画「鉄西区」から)
当局によって強制的に住処を変えられ退去させられたあとの荒れた居住区で、住民たちが廃材、鉄くず、木片とあらゆるものを再利用したり、売り買いする。土砂と塵芥以外はすべて再利用してしまう、たくましさに感動。

中国人は鼻をかむときに、片方の鼻の穴を手でおさえ、もう片方の穴から勢いよく鼻水を地面に向かって放出する。これは話にはきいていて、自分が中国を旅したときにも、痰と鼻水をひっかけられないように気をつけろと注意された記憶があるが、実際には目撃していなかった。「鉄西区」を見て、なるほどうまいもんだと納得。確かに鼻紙がいらない。
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| 2004年4月の映画 | 09:41 | comments(3) | trackbacks(0) |
ドキュメンタリー映画「鉄西区」
映画美学校で週末にかけて上映されていた「鉄西区」を見に行った。昨年の山形ドキュメンタリー映画祭でも上映されていたが見逃していた。1967年生まれの中国人映画作家・王兵が、3年間かけてビデオで撮影した一地域の記録。鉄西区は中国北東部シェンヤン(瀋陽)の周辺の工業地帯のひとつで、シェンヤンはかつて日本の占領軍から奉天と呼ばれていたところ。

1)第一部 工場(240分)
冒頭に高所からの工場全体の俯瞰図。そして、列車に乗って移動撮影で捉えた街の風景を見せる。日本占領時代に設置された工場から始まり一大工業自体に発展した「鉄西区」は、今では設備が老朽化し時代の流れに乗り遅れて衰退の一途を辿っている。
僕は石油コンビナートで仕事をしていた経験があるので、この労働者たちが身近に感じられた。でも日本の現場ほどの緊迫感が感じられない。この鉄西区ではすでの大半の工場が生産停止している。作業員たちの口から上司や体制の悪口が飛び出す。休憩室ではカード遊びに興じている。彼らはよく風呂に入っている。
4時間ほど続く第一部の後半では、眠気との戦いで、ほっぺたをつねってばかり。しかし、後半の保養所の場面で息を吹き返せた気がする。鉛中毒らしい元労働者が無為に過ごす日々。ひとりの男が池で溺れ死ぬ事故が発生する場面は不吉だ。人々は体制によって飼い殺しされているような印象を受ける。多くの事務所が閉鎖されていく。産業の衰退はゆっくりと、しかし着実に、地域を変えていく。
2)第二部 街(175分)
ついにカメラは工場の塀を越えて、街に出て行く。ここで記録されるのは低所得者層が住み、新開発のために立ち退きが強制される地域。特にカメラは、時間と精力を持て余している17歳前後の若者グループの日常の日々を追いかける。彼らは別段不良というわけでもないが、いつも路地をふらふらしている。この町には希望を与えてくれる仕事がない。低賃金・重労働に甘んじるか、暇を持て余すか、チンピラになるか。そんな選択枝しか持たない彼らは、親の世話になりながら無為に過ごしている。厚底靴を履く女の子、髪を染めた男の子、男女交際に興味を持つなど、一見したところ日本の若者と違いがない。中国の特殊な状況を越えて、現代の若者の姿が浮かび上がる。たわいないことで大笑いした後に沈んで沈黙する瞬間を捉えたクローズアップが、はっとするほど美しい。なんら社会的役割の背負わない若者たち。やがて彼らのねぐらさえもが、街ごと強制退去させられ破壊される。哀しく美しい時間の流れを「第二部・街」は捉えている。
3)第三部 鉄路(130分)
工場、街と対象をずらした「鉄西区」は、第三部で都市の血管ともいえる鉄道をカメラの対象に選ぶ。この長〜い上映時間の中で、映画が進行するほど時間の流れが速く感じらるのは、カメラの対象がどんどん動きのあるものになっていくからだ。列車上から撮影された風景、機関室内の鉄道員のやりとり、彼らの休憩室での会話、食事風景、トランプ遊び。そして、線路周辺をうろつく奇妙な父子。この父子にカメラが密着して捉えた映像に、思わず身を乗り出してしまう。それなりの地位があったらしいが破産してホームレスに近い状態にまで落ちぶれた父親と、その父親なしでは生きていけない寡黙な息子。父親が警察に連行されたとき、息子があばら家で目に涙を浮かべながら心細そうに父親の帰りを待つ場面では、思わずこちらまでもらい泣きしてしまった。単に父子の絆の強さというだけでなくて、無表情だった息子がカメラの前に自分をさらけだし、突然、感性豊かな青年に見える瞬間がとても美しかった。このあとに父親が釈放されて開かれる小家族の祝宴は腹を抱えるほどおかしい。

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| 2004年4月の映画 | 23:57 | comments(0) | trackbacks(0) |
映画「真珠の耳飾りの少女」
フェルメールにもともと興味があったのと、主演女優スカーレット・ヨハンソンが「ゴーストワールド」で印象に残っていたのとで、この映画が公開されたから早速、「真珠の耳飾りの少女」を見に行ってみた。
まず驚いたのは、フェルメールの絵の雰囲気を忠実に映像で表現しようと企図している点だ。あの柔らかな質感、光の粒子が絵の中で放射され浮遊しているような独特の調子。この光の粒子が空間を通り抜けるうちに柔らかな波動となって、見るものの心に伝わってくる。西欧でも北のほうにあるオランダだけあって、ぎらっとした太陽光線やどぎつい色づかいはなくて、窓越しに差し込むソフトな光線。この映画では、フェルメールの絵を知っている人なら、ははぁ〜んと思い当たるような、油絵の構図に似た映像や室内セットがよく出る。

ハーグの12月の風景
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| 2004年4月の映画 | 22:55 | comments(0) | trackbacks(0) |
映画「タカダワタル的」
高田渡は昭和24年生まれのフォーク歌手。彼のコンサートと日常生活との間を往復して、戦後(特に昭和)を生きた一人のミュージッシャンの生き様を記録したドキュメンタリー映画。日本のフォークに通じてないので、以下はざっくばらんな感想。

高田が吉祥寺か三鷹あたりをふらふらして、立ち飲み屋で一杯ひっかけながら店の主人や馴染み客と立ち話しているシーンがいい。ヒョウヒョウとして拘泥のない男の人生が現れる。コーサートでの語りも好々爺という感じ。
耳に心地よい響きの演奏。聴衆は高田ファンばかりなのか、のっけからノリノリなので、門外漢である自分にはついていけないところもあるが、軽妙洒脱、時には辛辣な彼の人柄がよく滲み出ている。共演者たちもうまい。
この作品は若い女性監督(タナダユキ)によるものらしいが、昨年の青山真治監督による「あじまぁのウタ・上原知子・天上の歌声」(こちらは沖縄ポップス)よりも、数倍この「タカダワタル的」は楽しめた。蛇足だが、制作には俳優の柄本明氏が協力している。僕が映画館に行った夜(レイトショー)でも、後ろの座席にその姿(サンダル履き)を見かけた。作品HP
| 2004年4月の映画 | 23:58 | comments(2) | trackbacks(0) |
キューバ映画への旅 「危険に生きて」 「公園からの手紙」 「ハロー ヘミングウェイ」
1.「危険に生きて」(1987 フェルナンド・ペラス監督)
革命を企てる青年活動家と裕福な家庭の娘との恋、というとありきたりのようだ。が、時代状況、登場人物たちの心理、街中での銃撃戦などリアルに感じられるのはさすがと思う。銃器店を強奪するシーン、ハノイの街を逃げ回るシーン、そしてアジトを警察に取り囲まれ激しい銃の撃ち合いになるシーン。まるで、キューバ版「明日に向かって撃て」のようだが、若者たちが社会変革を取り組む状況も丹念に描いてある。


2.「公園からの手紙」(1988年トマス・グティエレス・アレア監督)
文学的香りの高い作品。気球や飛行船に夢中であるほかに取得のない青年フリオが、上流階級の文学好きの娘マリアに恋をし、手紙の代筆屋ペドロにラブレターを書いてもらうに行く。やがて、マリアの方もペドロを訪ねるようになり、両者の恋の取り持ちをしている間に、この代筆屋にマリアに対する恋が芽生え・・・美しい映像にピアノの旋律がかぶさる。トマス・グティエレス・アレア監督は「天国の晩餐」では皮肉をふんだんに盛り込んでいたが、この「公園からの手紙」では、詩情が豊かに純愛を謳いあげる。若くして愛妻を失った代筆屋が慰めとして売春宿に通う一方で、マリアにプラトニックな愛情を抱き続けるという、複雑な中年の一人やもめの心境がよくでている。原作はガルシア・マルケスによる。

3.「ハロー ヘミングウェイ」(1990 フェルナンド・ペラス監督)
文学好きの主人公が「老人と海」の舞台となった漁村を訪れ、浜辺に佇むシーンが美しい。貧しく複雑な家庭環境に育つ女子高校生ラリータは、英語が得意で、たまたまヘミングウェイの邸宅の近くに住むことから、アメリカへの留学に憧れる。熱心な教師に見守られ、ラリータは奨学金を取得のために試験を受けるが、結局彼女の家柄の問題から落とされる。革命前のキューバの複雑な社会情勢と家庭環境がひとりの女子高生の人生に影を投げかけている点が描かれている。また、社会運動に夢中なボーイフレンドとの恋愛と自分自身の夢の実現の間で揺れ動くラリータの心理や、ラリータの従姉とその両親、祖母、母親などの人間像がよく描かれている点にも感心。ラリータが通う高校は公立とはいえ校舎が頑丈そうで立派。
| 2004年4月の映画 | 23:00 | comments(0) | trackbacks(0) |
キューバ映画への旅 「短編集[1]:サンチアゴ・アルバレス選集」
知らずにすごいものを見てしまっという感じ。サンチアゴ・アルバレス監督による「ハノイ13日の火曜日」(1967/38分)と「79歳の春」(1969/25分)はまさに度肝を抜く作品だった。どちらもベトナム戦争と共産主義政権の誕生をテーマにしたドキュメンタリー。元映像はどのように入手したのかは知らない。ベトナムやアメリカのニュース映像が元になっているかもしれない。
「ハノイ13日の火曜日」は仏画と田園風景と銃撃戦との見事なコラージュ。限られた映像の細切れと写真を組み合わせてダイナミックな展開のある短編映画に仕上げている。その編集の素晴らしさに感嘆。爆撃を受けて焼け野原に変貌した街をさ迷う人々を写し出す映像の迫力。

「79歳の春」の冒頭。タンポポが開花する様子をクローズアップで映し出す牧歌的な映像があり、その後にタンポポの種が大空に舞っていく、と思ったら、なんとそれは同じ形状の投下された爆弾で、ベトナムの大地に炎と煙が巻き上がる。凄い!と絶句。その後、ホー・チ・ミンの伝記的な内容に変わっていくが、わずかに字幕がいくつかあるだけで、短いカット割りされた映像でリズミカルに構成されている。ホー・チ・ミンが農村で小さな馬に跨って進む姿は、革命家というより中国の水墨画に出てくる賢人のよう。街を行く人々の頭にかぶったベトナム風の帽子を捉えた映像を繋いでいくだけで、詩的情緒を醸しだす。そして、一気に盛り上がる後半。ベトナム戦争の実写した映像が連続する。わざわざ傷つけたり分断したり切断したフィルムを、激しいパッカーションのリズムのようなテンポで繋ぎあわせ、戦闘シーンに圧倒的な迫力を与えている。ひょっとすると、この25分の「79歳の春」は3時間近いコッポラの「地獄の黙示録」よりも迫力があったかもしれない。このドキュメンタリー映画には息を呑むしかなかった。
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| 2004年4月の映画 | 20:10 | comments(0) | trackbacks(0) |
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