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映画女優 高峰秀子
東京国立近代美術館フィルムセンター 「映画女優 高峰秀子」特集

★馬(1941)
監督:山本嘉次郎/出演:高峰秀子、藤原鶏太(釜足)、竹久千恵子、二葉かほる、清川荘司、他
農家の少女(高峰秀子)が献身的に世話をした仔馬が成長し、2歳馬になってセリに出され、軍馬として輸送されるまでの時間の移り変わりを見せる作品。夏の牧場や冬の雪原など、大自然に囲まれた農村で物語が展開する。馬のせり市、なまはげ祭りなど、東北の郷土文化をとりこんで、魅力的な映画に仕上がっている。軍に買われて若馬たちに日の丸旗がつけられ、一列に引かれいくときの蹄の音が忘れがたい印象を残す。
この映画の高峰は、あどけない顔つきながら、ふくよかな体つきで、もう大人の女優へと変貌する一歩を踏み出している感じ。製作主任だった黒澤明との間にロマンスがあったことは、自伝「わたしの渡世日記」に書かれている。

★「四つの結婚」(1944)
監督:青柳信雄/原作:太宰治/脚本:八木隆一郎/出演:入江たか子、山田五十鈴、山根寿子、河野秋武、清川荘司
戦時中に作られた映画で、底抜けの明るさが意外だった。4人の女優の美しさが印象的。中国戦線に応召中の男に結婚話がまとまり、その友人が名代として結納に行く。4人の娘の中で婚約者を取り違えるなど勘違いが発生するが、結局その友人も末娘(高峰秀子)と結ばれることになりハッピーエンド。高峰は庶民的な雰囲気ながら品があり、横顔のアップが非常に美しかった。

★新道[前後編](1936)
監督:五所平之助/原作:菊池寛/脚本:野田高梧/出演:田中絹代、川崎弘子、佐野周二、上原謙、佐分利信、斎藤達雄、 高峰秀子
当時の人気小説の映画化。良家のお嬢様(田中絹代)が航空機技師(佐野周二)と恋に落ちるが、父親は結婚に反対。子供を身ごもるが、恋人は飛行機事故で亡くなる。私生児になるのを避けるために、恋人の弟(上原謙)と形ばかりの結婚をするが、...
昭和11年製作とは思えない爽やかさ。田中絹代の演技はちょっと大げさで無声映画を思わせるほど。それにしても、日本の当時の上流階級ってけっこうハイカラだったんだなと感心。映像と音声がずれているところ多々あり見づらい。
高峰秀子は、自由奔放なモダンガール田中絹代の妹役で、屈託のない中学生といった感じ。

(上記以外の高峰秀子出演作品の感想・・東京の合唱<コーラス>七つの海稲妻流れる渡り鳥いつ帰る
| 2004年9月の映画 | 20:24 | comments(0) | trackbacks(0) |
映画「なぜ彼女は愛しすぎたのか」/女が30歳になると、...?
女優で映画監督のヴァレリア・ブルーニ・テデスキの妹、カーラ・ブルーニは30歳になった時、モデルは先が見えるから辞めました、ギターが好きだったからシンガーソングライターに転向しましたと、今晩のテレビで言っていた。才能ある女性はいうことが違います。すごいねぇ!
ケルカン・マ・ディ ~ 風のうわさ
ケルカン・マ・ディ ~ 風のうわさ
カーラ・ブルーニ

女性にとって、30歳というのは峠の年齢なのか。
え〜と、何の話だっけ?そう、才色兼備のブルーニ姉妹とは関係ない、フランス映画「なぜ彼女は愛しすぎたのか」についての感想だ。30歳の女性が13歳の少年と恋愛にのめりこみ、関係を結んでしまう話。監督は自らヒロインも演じたエマニュエル・ベルコという女性。

“年齢を越えた愛の物語”という要約では、充分に内容を示していない。僕が興味を持ったのは、恋人もいるヒロインの女性(30歳)が、現在の状況に安住できず、できたら時間を遡行し、少年たちと戯れる少女になりたい。それどころか、幼児、そして胎児に戻りたいという欲望を持っているのでは、と思えたところ。裸の彼女を捉えた映像で印象的だったのは、熱いベッドシーンよりも、トイレの便座に腰掛けていたり、バスタブで膝を抱えて丸くうずくまっている姿。宙に彷徨う漠然とした意識だけで、男女の性別も不鮮明なまま、胎内にいる赤ん坊のように、無垢な状態を願う気持ち...
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| 2004年9月の映画 | 00:13 | comments(0) | trackbacks(0) |
映画「フォッグ・オブ・ウォー マクナマラ元米国防長官の告白」
マクナマラ氏の口ぶりに魅了されたと白状しよう。ベトナム戦争時代にアメリカ合衆国国防長官だった人物。泥沼にはまった負け戦の状況が歴然だったのに、北ベトナムへ爆撃を続け、枯葉剤をジャングルに撒き散らした米軍の最高責任者。85歳になっても彼の目には、複雑な状況を瞬く間に分析する明晰な思考が瞬いている。

2003年発表のドキュメンタリー「フォッグ・オブ・ウォー」は、作品中でそうだと言及していないものの、明らかに9-11以後のアメリカの状況を意識している気がする。その点では「華氏911」と同じ問題点を共有しているが、作品の傾向は異なる。マクナマラが国防長官だった当時の資料映像とインタビュー映像を組み合わせて、エロール・モリス監督は、あくまで元国防長官が戦争の責任をどう思っているか、本人への問いかけにすべてをかける。

1916年生まれのロバート・S・マクナマラは、若くして経営学の助教授になり、第二次世界大戦では持ち前の数値分析力を買われて日本爆撃計画に参画し、戦後はフォードの社長になるも、ケネディ元大統領に見込まれて、国防長官の任につく。ケネディが暗殺された後も、ジョンソン大統領の下で軍部の最高責任者としてベトナム戦争を継続し、戦況がおもわしくない中でついに解任される。以後は、世界銀行総裁になって発展途上国への援助に尽力しながら、現在も現役として働いている。
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| 2004年9月の映画 | 00:50 | comments(0) | trackbacks(2) |
映画「アイ、ロボット」
舞台は西暦2035年のシカゴ。近未来都市で、アナログ的世界を代表するスプーナー刑事と、デジタル的世界の仮身であるロボットたちの戦いを描く。ロボットを毛嫌いしているはずの刑事の肉体の一部にメカニックな改造が加わっていたり、先端技術の結晶であるロボット“サニー”に人間のような感情があったりといった展開があって楽しめた。

科学者、その助手、ロボット会社のCEO、スプーナー刑事の上司など、定番的な役柄が多い中で、一匹狼的な刑事を演じるウィル・スミスの存在だけが光っている。

CG映像の技術が面白い一方、かなり以前に書かれたSF小説を原作にしているだけあって、物語の発展に古風なところが垣間見れる。最後にセキュリティー・システムを統括するコンピューターが権力を握ろうとするところでは、「2001年宇宙の旅」のコンピューター“ハル”を連想した。やはり、SF映画って、自由を求めて個人が絶対権力に立ち向かう、という物語に最終的になってしまうんだなぁというのが感想。
| 2004年9月の映画 | 11:19 | comments(0) | trackbacks(0) |
映画「父、帰る」
まず映像が美しい。はっとさせられる瞬間が幾たびかあった。たとえば、少年の母親が煙草を手に持ちながら玄関にたたずんでいるところ。北方の国特有の淡い光が画面に漂っている。瞑想を誘う謎めいた雰囲気に包まれて物語が展開する。アンドレイ・タルコフスキーの「鏡」を思い出した。

長い不在の時が過ぎたあと、突然家庭に父親が戻ってくる。母親が「お父さんが戻ってきたわよ」といい、父親が「お前たちは俺の息子だ。お父さんと呼べ」という。不在の理由を説明することなく、夕飯のテーブルに父親がいる。空から降ってきたように。説明が足りないという気持ちは、二人の息子たちにとっても、また観客にとっても、同様だろう。翌日に、彼らは父親と車で小旅行に出かける。

この威圧的な父親の出現は、かえって「父の不在」を感じさせる。長男は比較的従順だったが、反抗期の次男は、突然の事態を受け入れられない。この次男、憎たらしすぎで、僕が親でも、こいつ!って怒ってしまいそうなくらい、反抗的だった。作品HP
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| 2004年9月の映画 | 00:58 | comments(0) | trackbacks(2) |
血沸き、肉踊る?「ラス・メイヤー映画祭」が再び
“ある種の好み”の男性と映画マニアに朗報です。巨乳映画の巨匠、ラス・メイヤー映画祭が再び渋谷で!

2004年初春、連日満席のため急遽延長上映をした、ラスメイヤー映画祭の続編開催決定!
詳細→http://www.fullmedia.co.jp/rm/fes/index.html

仕事の後のレイトショーで、擦り切れた生命力を回復しようっと!!(女性割引もあるとのこと)

今年の始め、ラス・メイヤー初体験をして、敬服してました。参考までに→そのときの記事。映画館にいけない人のために、DVDも売り出されてます。

ラス・メイヤー ヴィクセン BOX ( デジタル・リマスターヘア無修正版 )
ラス・メイヤー ヴィクセン BOX
| 2004年9月の映画 | 17:25 | comments(0) | trackbacks(0) |
プレミア上映に潜伏!アルモドバル新作 「バッド・エデュケーション」
最近、映画見すぎかな。映画の仕事をしているわけでないのに。まっとうな生活に戻ろうか。そう思っていたら、電話で「今晩、カンヌ映画祭のオープニングを飾った作品が上映されるよ。行きたい?」と、知人から悪魔の誘いが...。
こうして、アルモドバル新作のプレミア上映に潜伏して鑑賞してしまった。(『ヒスパニック・ビート・フィルム・フェスティバル』/9月16日〜9月26日国際交流基金フォーラム)

「バッド・エデュケーション(原題)」は、スペインのペドロ・アルモドバルの新作。前作「トーク・トゥ・ハー」で昏睡した女を見守っていた男二人(ハビエル・カマラとダリオ・グランディネッティ)も登場してくる。特に、カマラは女装して紛れもない“オカマ”。映画界の裏側を舞台にする「バッド〜」は、女性の登場人物が極端に少なく、オトコたちの危うい同性愛が展開する。過去と現在、フィクションと現実が交差する前半の展開は面白かったが、後半はややテンポが悪くなった気がした。
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| 2004年9月の映画 | 09:45 | comments(0) | trackbacks(0) |
映画「ソウル・オブ・マン」
ブルースのレコードが人工衛星に乗って宇宙空間に飛んでいったエピソードから、映画は始まる。盲目のギタリストが辻音楽師として演奏する時代がかった白黒映像が続く。「ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ」をつくったドイツの映画監督ヴィム・ヴェンダースによる、ブルースをテーマにしたドキュメンタリー映画が、「ソウル・オブ・マン」だ。

宇宙探査船ボイジャーは、未知の知的生物にあてたメッセージを搭載していた。その中に人類の文化のひとつとして、ブルースのレコードがあったことが、冒頭のエピソードの由来。詳しいことは知らないが、レコードを積み込むにしても、いろんなジャンルがあったわけで、ブルースだけに言及したのは、やはり詩的世界をつくりあげるためにヴェンダースがとった手法といえるだろう。

ルー・リードなど現代のミュージシャンの演奏風景を織り交ぜ、時間の流れを交錯させながら、ヴェンダースが力点が置いているのは、ブルースの音楽性だけでなく、歌詞にうかがえる社会の底辺の人々の心情。その“魂の叫び”が世代を超えて継承されていくさまにあるようだった。作品HP
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| 2004年9月の映画 | 10:37 | comments(0) | trackbacks(1) |
ドキュメンタリー映画「DV2」
☆DV2
監督フレデリック・ワイズマン/製作2002年/《ドキュメンタリー・ドリーム・ショー 山形in東京2004》にて鑑賞。

現代を代表するドキュメンタリー映画作家フレデリック・ワイズマンによる作品。DVとは言うまでもなく、《家庭内暴力/ドメスティック・バイオレンス》のこと。「DV1」は家庭内暴力の被害者を保護する施設“スプリング”で展開している風景を中心に取材したものだったが、この前作の「DV」は、同じフロリダ州にある裁判所内で、DVが事件として起こった後の被害者、加害者、そして裁判官との間のやりとりの模様を克明に撮影・記録したもの。

DVが大きな社会問題化しているフロリダ州では、DV防止法が実施され、男女の区別なく、一緒に暮らすパートナーの片方がもう片方を傷つけたら即逮捕される。映画の冒頭では、屋外で同棲相手の男性を爪で引掻いたという理由で、若い女性が警察に手錠をかけられ連行されている。夫婦やの恋人同士のたわいない痴話喧嘩でも容赦ないのだ。なんという徹底ぶり!
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| 2004年9月の映画 | 00:22 | comments(0) | trackbacks(0) |
ドキュメンタリー映画「アトミック・カフェ」
☆アトミック・カフェ (監督ケヴィン・ラファティ、ジェーン・ローダー、ピアーズ・ラファティ。製作1982年)
このドキュメンタリー作品は、第二次世界大戦が終結する直前から1950年代にかけてアメリカで撮影された膨大なアーカイブ映像から、原爆・水爆の開発に関わる部分を抜き出し、独自の観点で再編集し、音楽をかぶせもの。映像のほとんどは、軍が兵士を指導するためだったり、大衆に核の脅威と安全性(矛盾!)を認知してもらうための、“教育映画”だ。

笑える。可笑しい。とくかく滑稽。でも、どうして?
大衆を説得するための力んだ言説は、距離をおいてみると、こんなに滑稽に見えるのか!と思った。原爆・水爆を開発したアメリカ人自身、どうしてここまで核に無知でいられるのか。ああ、不条理の極み。
また、日本での原爆投下に関わった人々の、その時でなければ聞けなかった率直な発言の部分も興味深かった。それにしても、核実験に参加した兵士たちの気の毒な扱われ方には驚かされる。放射線検出バッジを胸につけて爆心地に近づいて、お〜い、どうなるんだよ?!

マイケル・ムーアは、この「アトミック・カフェ」を見て、目からウロコ、ビックリ仰天して、製作者の一人ケヴィン・ラファティに、“映画の作り方教えてくれ!”と頼みこんだとのこと。確かに小刻み編集、意表を付く音楽のオーヴァーラップ、皮肉の効いたユーモアなど、かなり共通点が多い。爆撃警報を聞いて机やベッドに下にもぐりこむ子供たちを見て、あの「ボウリング・フォー・コロンバイン」の終盤の映像を思い起こさない人はいないだろうと思う。共通点が多いどころか、この「アトミック・カフェ」こそ、ムーア映画の元祖なのだった。しかも、押し付けがましいナレーション、一切なし。直接的にメッセージを訴えるのではなく、あくまで鑑賞者の解釈に判断をゆだねる禁欲的な映画。
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| 2004年9月の映画 | 23:10 | comments(0) | trackbacks(0) |
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